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天皇の御歌(41)―第1代・神武天皇 [神武天皇]

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今日は、第一代・神武天皇の御製を学んでいきたいと思います。


御在世はB.C.711~B.C.585
御在位はB.C.660~B.C.585です。







☆☆☆

“神武天皇は、神日本盤余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)と申し上げ、鸕鷀草葺不合尊(うがやふきあへずのみこと)の第四皇子です。「古事記」「日本書紀」によれば、神武天皇の御東征は、九州、日向国高千穂から美々津(みみつ)の港を船出せられ、豊後水道から今の佐賀関を経て、豊前(大分県)の宇佐、筑紫(福岡県)の岡水門(おかみなと)、安藝(広島県)、吉備(岡山県)を経、途中諸準備を整へられて、皇軍「久米の子」を満載した軍船は、瀬戸内海を東へと進み、明石海峡を通って浪速(なには)のみさき、「青雲の白肩津(しらかたのつ)」に到着。大和へ直行しようとされてトミのナガスネヒコの軍勢と戦はれたが破れ、兄君五瀬命(いつせのみこと)の戦死と云う悲劇にあわれました。そこで紀伊半島を迂回して、熊野から大和に向かう作戦を断行。(今日学ぶ御歌は、熊野から大和に向かわれた時のことです)その後数々の苦闘を経て大和平定に至り、皇居を、畝傍の橿原に定めら、御即位されたのが、わが国の紀元元年(B.C.660)となりました。

御製は、大和平定の折のたたかひの歌と、御即位の後の、相聞(戀愛)の歌があります。
今日は「たたかひの御歌」を学びたいと思います。

「たたかひの歌」ということですが、昨年の大嘗宮の儀の祝宴「大饗(だいきょう)の儀」でこの歌詞の「久米歌」に合わせて舞う「久米舞」が、女性の舞である「五節舞」とともに、宮内庁楽部によって披露されていたことを知りました。以下は東京新聞の記事です。

☆☆

“天皇陛下の即位に伴って行われる大嘗祭(だいじょうさい)の中心儀式「大嘗宮の儀」(十四~十五日)の参列者を招き、十六、十八の両日に開かれる祝宴「大饗(だいきょう)の儀」で、日本古来の雅楽の歌舞「久米舞(くめまい)」と「五節舞(ごせちのまい)」が、宮内庁楽部(がくぶ)によって披露される。いずれも大嘗祭など皇室の重要儀式で行われる。”

(東京新聞 Tokyo web 勇壮 華麗 祝いの舞 大嘗祭で披露 楽部の稽古大詰め
2019年11月8日 16時00分
https://www.tokyo-np.co.jp/article_photo/list?article_id=18877&pid=23897

☆☆

「久米歌」は長くなりますので、複数回に分けて学ぶことにいたします。

以下の御歌の引用は「古事記・中巻」に拠るものとのことです。

☆☆☆

“宇陀(註・奈良県宇陀郡)に兄宇迦斯(えうかし)、弟宇迦斯(おとうかし)の二人有りき。故(かれ)、先づ八咫烏(やたがらす)を遣はして、二人に問ひて曰(い)ひしく、「今、天つ神の皇子幸(い)でましつ。汝等(なれども)仕(つか)へ奉(まつ)らむや」といひき。是(ここ)に兄宇迦斯、鳴鏑(なりかぶら)を以(も)ちて其の使を待ち射返(いかへ)しき。……待ち撃たむと云ひて軍(いくさ)を聚(あつ)めき。……然れども軍(いくさ)を得集めざりしかば、仕へまつらむと欺陽(いつは)りて、大殿(おほとの)を作り、その殿の内に推機(おし)を作りて待ちし時に、弟宇迦斯、先づ参向(まひむか)へて拝(おろが)みて臼(まを)しけらく、「僕(あ)が兄、兄宇迦斯……殿を作り、其の内に推機(おし)を作りて待ち取らむとす……」とまをしき。ここに道臣命(みちのおみのみこと)、……大久米命(おほくめのみこと)の二人、兄宇迦斯を呼びて、罵言(の)りて云ひけらく、「伊賀(いが)作り仕へ奉(まつ)れる大殿の内に、意礼(おれ)先づ入りて、其の仕へ奉(まつ)らむとする状(さま)を明(あか)し臼(まを)せ」といひて、……追ひ入るる時、乃(すなは)ち己(おの)が作りし押(おし)に打たえて死にき。……然して其の弟宇迦斯が獻(たてまつり)し大饗(おほみあへ)をば、悉(ことごと)に其の御軍(みいくさ)に賜ひき。此の時に歌曰(うた)ひけらく、(伊賀・意礼=いづれも「お前が」の意)


宇陀の 高城(たかき)に 鴫罠しぎわな)張る 我が待つや
 鴫(しぎ)は障(さや)らず いすくはし くぢら障(さや)る
 前妻(こなみ)が 肴(な)乞はさば 立枛棱(たちそば)の 實(み)の無けくを
 こきしひゑね 後妻(うはなり)が 肴(な)乞はさば 柃實(いちさかきみ)の多けくを
 こきだひゑね ええ しやごしや 此は伊能碁布曾(いのごふぞ)
 ああ しやごしや 此は嘲唉(あざわら)ふぞ

(pp18~19)

(小田村寅二郎 小柳陽太郎編著『歴代天皇の御歌―初代から今上陛下まで二千首―』日本教文社 昭和52年8月15日 第5版)

☆☆☆

八咫烏(やたがらす):八咫烏は、日本を統一した神武天皇を、大和の橿原まで先導したという導きの神。八咫烏の「八咫」とは大きく広いという意味。八咫烏は太陽の化身で三本の足があります。三本の足はそれぞれ天・地・人をあらわす、といわれています。
(参考資料:熊野本宮大社ホームページ。http://www.hongutaisha.jp/%E5%85%AB%E5%92%AB%E7%83%8F/)


御歌に入る前の説明から書かせていただきます。

奈良県吉野の宇陀、宇迦斯(宇賀志村)に兄宇迦斯(えうかし)、弟宇迦斯(おとうかし)という兄弟がいました。神日本盤余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)が「仕える気はないか」と八咫烏を遣わしますが、兄宇迦斯はぶんぶん音のする鏑矢で八咫烏を追い返します。 戦の準備をしようとするが兵が集まらない。そこで一計を案じて、「仕えますので私の御殿におこしください」と使いを出して、大きな御殿を作りますが、御殿には足を踏み入れると重しを付けた天井が落ちてきて殺されてしまう仕掛けを設けて待ち受けました。弟宇迦斯は、神日本盤余彦尊のところへ参り、兄の計略を伝えます。道臣命(みちのおみのみこと)と大久米命(おほくめのみこと)の二人は、兄宇迦斯を呼んで、「仕えるというその心を明らかにしなさい」と、御殿の中に追い込み、兄宇迦斯は自分の仕掛けに押しつぶされて死にます。弟宇迦斯は、大饗(おほみあえ)を設けて、神日本盤余彦尊の軍をもてなします。その時に歌われたのがこの歌です。


言葉の意味(御歌)。

高城:神武天皇が八咫烏に導かれて大和の国に入って来たときに、軍の休息のために築いたわが国最古の城跡。

立枛棱(たちそば):ソバノキの実が小さく少ないところから、「実のなけく」にかかる枕詞。

肴:酒を飲む際に添える食品。元々副食を「な」といい、「菜」「魚」「肴」の字を当てたことから、酒のための「な(おかず)」という意味。

柃(いちさかき):ヒサカキのこと。常緑高木でサカキでないがサカキの代わりになる。ヒサカキは実が多くつくので、柃實(いちさかきみ)は「多けく」にかかる枕詞。

こきしひゑね:「こきし」は下に言う「こきだ」と同じく「たくさん」の意であろうという。「ひゑ」は肉などを削ぎ取る意。たくさん(肉を)そぎ取ろう

こきだひゑね:たくさん(肉を)そぎ取ろう

伊能碁布曾(いのごふぞ):相手に攻め近づく時の声だぞ

嘲唉(あざわら)ふぞ:あざ笑う声だぞ

ええしやごしや、ああしやごしや:囃子詞(はやしことば)


御歌の意味。

宇陀の高城に鴫の罠を張っていたら、私が待っている鴫はかからず、思いもよらない鯨がかかった。
前妻がおかずを欲しがったら、肉の少ないところをたくさん剥ぎ取って与えるがよい。
後妻がおかずを欲しがったら、肉の多いところをたくさん剥ぎ取って与えるがよい。
ええ、しやごしや。これは相手に攻め近づく時の声だぞ。
ああ、しやごしや。これは、相手を嘲笑する時の声だぞ。


前妻は今で言えば、古女房、後妻は若い妻ということでしょう。現代人の感覚から見れば、古代のことで、複数の妻がいたことはともかく、食事に差をつけるなんて前妻がかわいそうと云いたくなるところですが、今ほど食料が豊富ではないので、これから子供を産み育てる若い妻に栄養のあるところを食べさせようという、当時の事情を反映したそのままを詠われたのだということでありましょう。コトバのリズムが、野性的で強さがあります。

昨年11月の祝宴「大饗(だいきょう)の儀」で「久米舞」として舞われていたというのが、私の大きな発見でした。初代・神武天皇の御歌です! 2600年以上の時を経て歌われ続けている、そのことだけで「すごいなあ!」と、感嘆いたしました。

今日も読んでいただき有難うございました。今日は十五夜でしたね。
秋晴れの日差しがさわやかです。皆様、どうぞお健やかにお過ごしください。

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