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天皇の御歌(32)―第45代・聖武天皇 [聖武天皇]

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今日は聖武天皇の御歌を
学びます。

御在世:701~756(崩御56歳)、
御在位:724~749(24歳~49歳)
です。


第43代・元明天皇は急逝された第42代・文武天皇の皇位を継ぎましたが、元明天皇の御意志を継いで文武天皇のお子様である聖武天皇のご成長を待たれたのが、文武天皇の姉君だった第43代・元正天皇でした。元正天皇は、聖武天皇の伯母君にあたられます。

天武天皇直系で継承されたいという願いの元に、皇位はめでたく第44代・聖武天皇が継がれて、天平文化が花開きました。


なお、一昨日のブログで、「「もとつ人」は、元正天皇の夫君の草壁皇子か、お子様の文武天皇のことかも知れないという解釈する人もあります。」と書きましたが、元正天皇は、草壁皇子のお子様で、文武天皇の姉君なので、「夫君」、「お子様」は間違いでした。「元正天皇の父君、草壁皇子か、弟君の文武天皇」ということで、謹んで訂正いたしました。元正天皇は生涯不婚でいらっしゃいました。

聖武天皇は、第42代・文武天皇の御長男であられ、文武天皇は、第40代・天武天皇の御孫の草壁皇子の御子なので、聖武天皇は、天武天皇の曾孫にあたられます。

この天皇の頃から、藤原氏の勢力が強大になり、他方、支那東北地区の渤海国がはじめて日本に朝貢しました(728)。聖武天皇の皇后・光明皇后は、施薬院、悲田院(730)を置かれ、病弱者、困窮者の救済に献身されました。光明皇后の御父は藤原不比等です。

施薬院(療病院):薬局、病院
悲田院:病者、身寄りのない老人、孤児などのための、社会福祉施設

にあたるそうです。どちらも貧窮者を救う施設です。



聖武天皇は「鎮護国家」の大御心から、「国分寺・国分尼寺建立の詔」を発せられ(741)、743年に「大佛鋳造の詔」を745年には東大寺建立の発願をせられました。

天平時代は、聖武天皇を中心としたこの時代であり、山部赤人(やまべのあかひと)、大伴旅人(おおとものたびと)、山上憶良(やまのうえのおくら)などの歌人が輩出したのもこの時代でした。


☆☆☆

“天皇(すめらみこと)の、酒を節度使(せつどし)の卿等(まへつきみたち)に賜(たま)ふ御歌(みうた)一首。短歌を并(あは)せたり(天平四年、七三二)

食國(をすくに)の 遠(とほ)の朝廷(みかど)に
 汝等(いましら)し 斯く罷(まか)りなば 平(たひら)けく 
朕(われ)は遊ばむ 手抱(たむ)きて 
朕(われ)は御在(いま)さむ 天皇朕(すめらわ)が
うづの御手(みて)以(も)ち かき撫でそ 勞ぎたまふ
うち撫でそ 勞ぎたまふ 還(かへ)り來(こ)む日
相飲まむ酒(き)そ この豊御酒(とよみき)は 

(右の)反歌一首

丈夫(ますらを)の 行くとふ道そ おほろかに
 思ひて行くな 丈夫(ますらを)の伴(とも) (萬葉集、巻第六)

天皇(すめらみこと)、酒人女王(さかひとのおほきみ)を思(しの)ひます御製歌(おほみうた)1首

道(みち)にあひて 咲(ゑ)まししからに 降る雪の
 消(け)なば消(け)ぬがに 戀ふとふ 吾妹(わぎも)   (萬葉集、巻第四)

(pp54~55)

(小田村寅二郎 小柳陽太郎編著 『歴代天皇の御歌―初代から今上陛下まで二千首―』 日本教文社 昭和52年8月15日 第5版)

☆☆☆


1首目の言葉の意味

節度使(せつどし):奈良時代(8世紀)に軍団を統轄するために設置された臨時の官職(令外官)

食國(をすくに):天皇の治めたまう國

遠(とほ)の朝廷(みかど):天皇の遠方の政庁、天皇の治める国の遠くへ派遣された官人

罷(まか)る:命じられて、都から地方へ行く。

かき撫でる:あたまを撫でる。旅人の平安を祈る意味があるそうです。

豊御酒(とよみき:酒の美称

1首目。私が治めている国の遠方にある政庁に、そなたたちがこのように行ってくれたら平安に私は遊んでいるだろう、手を組んでいられるだろう、天皇であるわたくしは、    手で髪かきなでねぎらおう、頭をなでてねぎらおう、そなたたちが帰る日に、酌み交わしたい酒である、このすばらしい神の酒を


2首目の言葉の意味

行くとふ道そ:行くという道である

おほろかに:いいかげん

伴(とも):一緒に

2首目。勇者の行くという道をおろそかに考えてはいけない、勇者たちよ。行く道をおろそかに考えるな勇者たちよ


3首目の言葉の意味

咲(ゑ)まし:微笑む

3首目。道で出くわして、私が微笑んだというだけで、雪のようにはかなく、今にも消えてしまいそうな思いで私を恋い慕っていると言う可愛いあなたよ。

酒人女王は、天武天皇の子である穂積皇子(ほづみのみこ)の孫娘だそうです。萬葉集では、微笑むことを「咲まし」と「花が咲く」漢字を使っているのが素敵だと思います。積もらずにすぐ消えてしまう雪のように、消え入りそうになっている酒人女王も愛らしいですね。


1首目、2首目は、節度使への激励の御製で、派遣される人々の平安を祈って、再会を楽しみに待つお心が詠われています。渤海国のこともあり、国内の九州地方の守りを固める必要があったのでしょう。日本は大陸から離れた島国でしたが、朝鮮半島の影響を受け、国の守りに気を配っていたことが思われます。


今日も読んでいただき有難うございました。

皆様にとって平安な一日でありますよう、お祈り申し上げます。


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