天皇の御歌(30)―第44代・元正天皇 [元正天皇]
今日も昨日に引き続き、
元正天皇の御歌を学ばせて
いただきます。元正天皇は
第43代・元明天皇の皇女、
第40代・天武天皇の御孫、
御在世:680~748(崩御69歳)、
御在位:715~724(36歳~45歳)
です。
☆☆☆
“山村に幸行(いでま)しし時、先の太上天皇(おほきすめらみこと)(註・元正天皇)の陪従(へいじゅ)の王臣に詔りたまはく、それ諸王卿等(おほきみまへつきみたち)、和(こた)ふる歌を詠みて奏(まを)すべしとのりたまひて即ち御口號(みくちでう)したまはく、
あしひきの 山行きしかば 山人(やまびと)の
朕(われ)に得しめし 山つとそこれ(山つと=山のみやげ)
舎人親王(とねりのみこ)の、詔(みことのり)に応(こた)へて和(こた)へ奉る歌一首
「あしひきの 山に行きけむ 山人の 心も知らず 山人や誰」(萬葉集、巻第二十)
御製の歌一首(左大臣橘卿の宅に在(いま)して肆宴(とよのあかり)きこしめし時)
橘(たちばな)の とをの橘 彌つ代にも 吾(あれ)は忘れじ この橘を
(*とをの橘=たわむばかりに実った橘、左大臣・橘諸兄を指す) (萬葉集、巻第十八)“
(pp52~53)
(小田村寅二郎 小柳陽太郎編著 『歴代天皇の御歌―初代から今上陛下まで二千首―』 日本教文社 昭和52年8月15日 第5版)
☆☆☆
第1首目は、山に行ってみたら、山人がこのような山の山つと(土産)を、私にくれましたよという御歌で、元正太上天皇は、諸王や臣下に、これにこたえる御歌を望まれました。
それにこたえて舎人親王が、次のように御歌で答えました。
「山に行かれたという、仙人(山人)のような太上天皇は、どのようなお心で山にいらしたのでしょう。土産を差し上げた山人とは村の山人ですか。」
山人は、仙人のことでもあるので、仙人のような元正太上天皇が、山人からお土産をもらわれたというのはどういうことなのでしょう、と舎人親王は詠います。
どんなお土産をいただかれたのでしょうね。美しい花の枝なのか、山で採れた山菜なのか、猪や鹿の肉なのか、私どもが知る術もありませんが、素朴なお土産を喜ばれた元正上皇のご様子が目に浮かびます。
それにこたえた舎人親王の御歌もストレートでなく、お洒落ですね。
おやおや、元正上皇様は、すでに仙人(山人)のようなお力をお持ちで、仙女のようにお美しいのに山にいらして、同じ山人からおみやげをいただかれたのですか。それはどのようなお心なのでしょうと、上皇の美しさと神秘な力を讃える御歌を詠んでいます。
私事ですが、私の数少ない登山のときのことを思い出します。山に登りますと自然に溶け込んだ気がして、草笛を作って吹いたり、岩の上を飛び歩いたりして、いつもと違ったのびのびとした自分になれた気がしました。
元正上皇も同じような伸び伸びした思いをされたのかも知れません。その生き生きとした嬉しそうなご様子を見て、舎人親王が讃えたように思われます。
舎人親王は、萬葉集に三首の歌が収録されていて、歌の名人でもあったようです。『日本書紀』編纂の主宰者を任されていたので、文芸の才能のある親王だったのでしょう。
2首目は、橘諸兄の家に招かれた宴の席で、橘諸兄と橘氏を讃える御歌です。
橘の、たわむばかりに実った橘のように栄える橘氏、いつまでも私は、橘諸兄のことを忘れませんよ、というほどの御歌でしょうか。
橘諸兄は、奈良時代の皇族・公卿で、敏達天皇の後裔で初名は葛城王、臣籍降下して橘宿禰のち橘朝臣姓となりました。萬葉集の選者だったという説があり、7首の歌が収録されています。
舎人親王について、私が不思議に思ったのは、「舎人(とねり)」は、「古代、天皇・皇族の身辺で御用を勤めた者」とのことですが、役職名である「舎人」を、なぜ「舎人」を御自分のお名前にされたのかということでした。
今回、ネットでいろいろ見て、yahoo知恵袋の答えがそうなのかと思えるものでした。
それは大化の改新以前の「部(べ)」に、「舎人部(とねりべ)」という部があり、それを治めた皇子だったということからではないかという答えでした。
「部」は、大和政権に属した人々の集団で、朝廷・皇族・豪族の支配のもとに労力や貢物を提供したとのこと。品部、馬飼部など職能によって名前がつけられたので「舎人」の集団だったのでしょう。それを治める皇子ということで「舎人親王」と名乗られたらしいです。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14144508949?__ysp=6IiO5Lq66Kaq546LIOOBquOBnCDoiI7kuro%3D
舎人親王が編纂された『日本書紀』は養老4年(720年)に完成したと伝わっています。
『古事記』は文庫本1巻なので、持ち歩いて読み返して来ましたが、『日本書紀』は岩波文庫版を買って読み始めたのですが、5巻もあったので、2巻の途中で挫折しました。たとえ1回でも、何とか読み通すのが目標です。
今日も読んでいただき有難うございました。
昨日から少し涼しくなり、虫の声もにぎやかになってまいりました。早く心地よい秋になると良いですね。
皆様も、どうぞ楽しい一日をお過ごしください。
元正天皇の御歌を学ばせて
いただきます。元正天皇は
第43代・元明天皇の皇女、
第40代・天武天皇の御孫、
御在世:680~748(崩御69歳)、
御在位:715~724(36歳~45歳)
です。
☆☆☆
“山村に幸行(いでま)しし時、先の太上天皇(おほきすめらみこと)(註・元正天皇)の陪従(へいじゅ)の王臣に詔りたまはく、それ諸王卿等(おほきみまへつきみたち)、和(こた)ふる歌を詠みて奏(まを)すべしとのりたまひて即ち御口號(みくちでう)したまはく、
あしひきの 山行きしかば 山人(やまびと)の
朕(われ)に得しめし 山つとそこれ(山つと=山のみやげ)
舎人親王(とねりのみこ)の、詔(みことのり)に応(こた)へて和(こた)へ奉る歌一首
「あしひきの 山に行きけむ 山人の 心も知らず 山人や誰」(萬葉集、巻第二十)
御製の歌一首(左大臣橘卿の宅に在(いま)して肆宴(とよのあかり)きこしめし時)
橘(たちばな)の とをの橘 彌つ代にも 吾(あれ)は忘れじ この橘を
(*とをの橘=たわむばかりに実った橘、左大臣・橘諸兄を指す) (萬葉集、巻第十八)“
(pp52~53)
(小田村寅二郎 小柳陽太郎編著 『歴代天皇の御歌―初代から今上陛下まで二千首―』 日本教文社 昭和52年8月15日 第5版)
☆☆☆
第1首目は、山に行ってみたら、山人がこのような山の山つと(土産)を、私にくれましたよという御歌で、元正太上天皇は、諸王や臣下に、これにこたえる御歌を望まれました。
それにこたえて舎人親王が、次のように御歌で答えました。
「山に行かれたという、仙人(山人)のような太上天皇は、どのようなお心で山にいらしたのでしょう。土産を差し上げた山人とは村の山人ですか。」
山人は、仙人のことでもあるので、仙人のような元正太上天皇が、山人からお土産をもらわれたというのはどういうことなのでしょう、と舎人親王は詠います。
どんなお土産をいただかれたのでしょうね。美しい花の枝なのか、山で採れた山菜なのか、猪や鹿の肉なのか、私どもが知る術もありませんが、素朴なお土産を喜ばれた元正上皇のご様子が目に浮かびます。
それにこたえた舎人親王の御歌もストレートでなく、お洒落ですね。
おやおや、元正上皇様は、すでに仙人(山人)のようなお力をお持ちで、仙女のようにお美しいのに山にいらして、同じ山人からおみやげをいただかれたのですか。それはどのようなお心なのでしょうと、上皇の美しさと神秘な力を讃える御歌を詠んでいます。
私事ですが、私の数少ない登山のときのことを思い出します。山に登りますと自然に溶け込んだ気がして、草笛を作って吹いたり、岩の上を飛び歩いたりして、いつもと違ったのびのびとした自分になれた気がしました。
元正上皇も同じような伸び伸びした思いをされたのかも知れません。その生き生きとした嬉しそうなご様子を見て、舎人親王が讃えたように思われます。
舎人親王は、萬葉集に三首の歌が収録されていて、歌の名人でもあったようです。『日本書紀』編纂の主宰者を任されていたので、文芸の才能のある親王だったのでしょう。
2首目は、橘諸兄の家に招かれた宴の席で、橘諸兄と橘氏を讃える御歌です。
橘の、たわむばかりに実った橘のように栄える橘氏、いつまでも私は、橘諸兄のことを忘れませんよ、というほどの御歌でしょうか。
橘諸兄は、奈良時代の皇族・公卿で、敏達天皇の後裔で初名は葛城王、臣籍降下して橘宿禰のち橘朝臣姓となりました。萬葉集の選者だったという説があり、7首の歌が収録されています。
舎人親王について、私が不思議に思ったのは、「舎人(とねり)」は、「古代、天皇・皇族の身辺で御用を勤めた者」とのことですが、役職名である「舎人」を、なぜ「舎人」を御自分のお名前にされたのかということでした。
今回、ネットでいろいろ見て、yahoo知恵袋の答えがそうなのかと思えるものでした。
それは大化の改新以前の「部(べ)」に、「舎人部(とねりべ)」という部があり、それを治めた皇子だったということからではないかという答えでした。
「部」は、大和政権に属した人々の集団で、朝廷・皇族・豪族の支配のもとに労力や貢物を提供したとのこと。品部、馬飼部など職能によって名前がつけられたので「舎人」の集団だったのでしょう。それを治める皇子ということで「舎人親王」と名乗られたらしいです。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14144508949?__ysp=6IiO5Lq66Kaq546LIOOBquOBnCDoiI7kuro%3D
舎人親王が編纂された『日本書紀』は養老4年(720年)に完成したと伝わっています。
『古事記』は文庫本1巻なので、持ち歩いて読み返して来ましたが、『日本書紀』は岩波文庫版を買って読み始めたのですが、5巻もあったので、2巻の途中で挫折しました。たとえ1回でも、何とか読み通すのが目標です。
今日も読んでいただき有難うございました。
昨日から少し涼しくなり、虫の声もにぎやかになってまいりました。早く心地よい秋になると良いですね。
皆様も、どうぞ楽しい一日をお過ごしください。
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