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天皇の御歌(22)―第105代 後奈良天皇(3) [後奈良天皇]

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今日も、第105代 後奈良天皇の御歌(おうた)を謹写します。
(御在世:1496年~1557年、御在位:1526年~1557年(御年31歳~62歳))

一昨日、学んだ御歌の1首目の解釈ですが、高森明勅氏の著書に解釈が載せてあるのを、今朝、見つけました。私の解釈は少し間違っていました。あらためて高森氏の解釈を載せさせていただきます。

☆☆☆

“神祗(大永元年―1521)

宮柱(みやはしら) 朽ちぬちかひを たておきて 末の世までの あとをたれけむ

(御奈良院御製集拾遺)“(p210)

(小田村寅二郎 小柳陽太郎編著 『歴代天皇の御歌―初代から今上陛下まで二千首―』 日本教文社 昭和52年8月15日 第5版)


(高森氏の解釈)
“日本の神々は、「宮柱」によって象徴される天皇の地位(皇位)がけっして「くちぬ」、つまり永遠に安泰であるという「ちかひ」をたてて、末代までかわらぬ姿を示し、模範をのこされたことよ”(P333)

(高森明勅著『日本の10大天皇』幻冬舎新書)

☆☆☆


私は、「宮殿の柱がしっかり立つように、天皇としての朽ちることのない誓いを立てて、後世に長く、跡を残し続けようということ」と書いて、主語を後奈良天皇と解釈したのですが、主語は「日本の神々」だったのですね。より時間の幅の広い御歌であったわけです。

今日は、さらに2首の御歌を謹写します。


☆☆☆

“寄夢述懐(天文十一年―1542―大神宮御法楽千首)

いさむるも ありしながらに たらちねの 幾たび夢の 昔をか見し


田家秋夕(同)

夕つゆの 外面(とのも)にひろき 千町田の をしねいろづく 秋やさびしき“(p211)

(小田村寅二郎 小柳陽太郎編著 『歴代天皇の御歌―初代から今上陛下まで二千首―』 日本教文社 昭和52年8月15日 第5版)

☆☆☆

たらちね= 母、両親

ありしながらに = ご在世の折のままに

外面 = 外側

をしね = 稲


1首目 ご在世の折のままに諫められる母宮の夢を、昔のように幾たびも見たことか

2首目 御所の外にある、夕べの露の降りたひろい千の区画の田んぼに、稲が色づく秋はさびしいものだ

というほどのことでしょうか。


亡くなられた母宮に諫められる夢を見ることが何回もあって、ご在世の折のことが懐かしく思い出されるということだと思います。母に諫められたことは、いつもでも心に残り、自分を形作ってきたというのは、私ども庶民も同じ思いですね、

御所の外に、水田が広がっている光景。稲が色づくのは、豊作であれば楽しみだと思うのですが、天皇の御心には民を苦しめる疫病などの心配事が去来していたのでしょうか。秋の寂しさを見ておられます。


後奈良天皇の御治世代は戦国時代への突入期でした。

西に毛利元就、東に甲斐の武田信玄、越後の上杉謙信がありました。
天文十二年(1543)ポルトガル商人が種子島に日本にはじめて鉄砲を伝来させ、同じ年に織田信秀(信長の父)は、皇居の修繕に意をそそいだとのことです。

弘治元年(1555)、武田信玄と上杉謙信の川中島の決戦があり、中世の終わりが目前になります。

後奈良天皇の第一皇子が、第106代 正親町天皇です。

NHK大河ドラマの明智光秀の時代が、その時代に当たります。8月末になるそうですが、再開が楽しみです。


今日も、読んでいただき有難うございました。

今日一日が皆様にとって、素晴らしい一日でありますようお祈り申し上げます。


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