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天皇の御歌(21)―第105代 後奈良天皇(2) [後奈良天皇]

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今日も、第105代 後奈良天皇の御歌(おうた)を謹写します。
後奈良天皇の御在世は1496年~1557年、62歳で崩御。
御在位は1526年~1557年(御年31歳~62歳)です。

☆☆☆

“神祗(享保三年―1530)

いそのかみ ふるき茅萱(ちがや)の 宮柱(みやはしら) たてかふる世に 逢はざらめやは

(御奈良院御製集)


樹陰照射

ともしたて 歸るますらを 木隠れに しるべばかりの 月はもるらむ

歳暮

つもりては 老いとなりぬる 哀れをも 知らでや年の くれてゆくらむ

(以上、御奈良院御百首)


(御奈良院御製集拾遺)“(p210~211)

(小田村寅二郎 小柳陽太郎編著 『歴代天皇の御歌―初代から今上陛下まで二千首―』 日本教文社 昭和52年8月15日 第5版)

☆☆☆

いそのかみ: 「ふる」にかかる枕詞。 「石の上布留(いそのかみふる」(奈良県天理市石上付近の布留の地)に由来する。

茅萱(ちがや): かや。屋根をふく丈の高い草の総称 

ともし: ともし火

ますらお: 心身ともに人並みすぐれた強い男子


1首目 昔からある、ふるい茅萱で葺かれた、宮殿を建て替える世に逢えるのだろうか。

前回触れたように、紫宸殿の土塀が破れるほど傷んだ宮殿の修理ができない今の世にあって、御自分の治世の間に、修繕ができるのだろうかと、案じられての御歌と拝察いたします。
さびしい御歌ですが、悲惨さは感じられない、静かな後奈良天皇のまなざしが感じられます。


2首目 ともし火を立てて、帰ってきたますらおたち。樹の間からともし火が見えるのは、山で作業していた樵(きこり)でしょうか。まぶしいほどではないが、やさしい月の光が、ますらおを導くかのように、樹の間からそっと照らしている光景が、目に浮かびます。

昨日の、小さい田んぼを守って粗末な小屋で夜明かしするますらおに向けられた、後奈良天皇の御気遣いとお優しさと同じまなざしを感じます。

かすかな月の光は、困難な中の後奈良天皇を導く、神の光でもありましょう。そんなほのかな希望を感じる御歌です。


3首目 月日を重ねていつのまにか老いてしまった私のことを、知らぬかのように、歳は暮れて行くのだろう。

何歳の時の御歌か分かりませんが、62歳で亡くなられているので、晩年の御歌なのでしょうか。自分は年を取るが、年月はそういうことを知らぬように、流れていく世の無常を詠われているようですが、同時に小さな自己とかかわりなく世の中が進んで行くことは、希望でもあるように思われます。


飛躍しますが、後の時代の人々がその世の中でつつがなく過ごせるようにとの願いを、ご先祖の皆様は持ちつつ世を去って行かれた、そんなことをふと思いました。


天文九年(1540年)に、悪疫が流行したとのこと。後奈良天皇は45歳であられました。
こういった困窮の中にありながら、宮中で祈祷を行わせられ、御自筆で写経された金泥文字の般若心経を諸国一宮に奉納されて御祈願を続けられたとのことです。

このことを、天皇陛下は皇太子時代の2017年の御誕生日会見で、次のように話しておられます。


☆☆☆

“このような考えは,都を離れることがかなわなかった過去の天皇も同様に強くお持ちでいらっゃったようです。昨年の8月,私は,愛知県西尾市の岩瀬文庫を訪れた折に,戦国時代の16世紀中頃のことですが,洪水など天候不順による飢饉(きん)や疫病の流行に心を痛められた後奈良天皇が,苦しむ人々のために,諸国の神社や寺に奉納するために自ら写経された宸翰(しんかん)般若心経(はんにやしんぎよう)のうちの一巻を拝見する機会に恵まれました。紺色の紙に金泥で書かれた後奈良天皇の般若心経は岩瀬文庫以外にも幾つか残っていますが,そのうちの一つの奥書には「私は民の父母として,徳を行き渡らせることができず,心を痛めている」旨の天皇の思いが記されておりました。災害や疫病の流行に対して,般若心経を写経して奉納された例は,平安時代に疫病の大流行があった折の嵯峨天皇を始め,鎌倉時代の後嵯峨天皇,伏見天皇,南北朝時代の北朝の後光厳天皇,室町時代の後花園天皇,後土御門天皇,後柏原天皇,そして,今お話しした後奈良天皇などが挙げられます。私自身,こうした先人のなさりようを心にとどめ,国民を思い,国民のために祈るとともに,両陛下がまさになさっておられるように,国民に常に寄り添い,人々と共に喜び,共に悲しむ,ということを続けていきたいと思います。私が,この後奈良天皇の宸翰しんかんを拝見したのは,8月8日に天皇陛下のおことばを伺う前日でした。時代は異なりますが,図らずも,2日続けて,天皇陛下のお気持ちに触れることができたことに深い感慨を覚えます。”

(「宮内庁ホームページ」皇太子殿下お誕生日に際し(平成29年) 皇太子殿下の記者会見平成29年2月21日)https://www.kunaicho.go.jp/page/kaiken/show/9

☆☆☆


「このような考え」はこのお言葉の前に話されていますが、直接国民にお会いする「象徴天皇」としてのお務めを指しておられると思います。


これに先立つ2012年、上皇陛下も、後奈良天皇の般若心経をご覧になられていたという記事もありました。

https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/7110

御宸筆をご覧になられた上皇陛下は「大変だったんだよね」とつぶやき、定刻を越えるまでしばらくの間見つめておられたとのことです。

天皇陛下のお言葉によれば、後奈良天皇だけでなく、嵯峨天皇、後嵯峨天皇、伏見天皇、後光厳天皇、御花園天皇、と土御門天皇、後柏原天皇も、疫病の流行の際には、般若心経の写経を奉納されたのですね。

後奈良天皇の時代は、後奈良天皇以前の天皇の時代もそうですが、江戸時代の天皇はご生涯の大半を御所の中で過ごされました。

直接庶民の生活を知ることはできませんが、庶民の幸せを願う思いを文字に込めて、財政困難な中で金の文字を使用した写経をされました。金泥文字は、普通の墨よりも重たくて筆が進みにくい、その写経を全国24か所の一の宮に奉納され、心身ともに力を尽くされたことを思うと、そのお祈りの深さが思われます。


天皇陛下が皇居から出られて、全国御巡幸されるようになったのは、明治以来のことです。
明治以来、天皇陛下の御姿を庶民が拝する機会が出来て、平成の御代からは、天皇・皇后両陛下が式典等、お出ましになる機会があり、皇居清掃奉仕では、直接お目にかかることもできます。幸せな時代に生まれることができたことをうれしく思います。


今日もブログを読んでいただき、ありがとうございました。

皆様にとって、幸福な一日でありますようお祈り申し上げます。




タグ:今上陛下
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