天皇の御歌(20)―第105代 後奈良天皇 [後奈良天皇]
今日は、第105代 後奈良天皇の御歌(おうた)を謹写します。
御奈良天皇の御在世は1496年~1557年、62歳で崩御されています。
御在位は1526年~1557年(御年31歳~62歳)です。
御奈良天皇の御代は、皇室の財政がもっとも衰微した年と言われ、後奈良天皇は歴史上もっとも貧しかった天皇だと言われます。
室町幕府は応仁の乱(1467年~1477年)以前から、機能不全に陥り、中央政権の実力がなく、ほとんど無政府状態に近かったそうです。
そんな中では朝廷を支える財源もなく、御即位の大礼は、即位後10年を経過してやっと行われました。大嘗祭は行われませんでした。
即位の大礼などが行われる建物の紫宸殿(ししんでん)の築地(ついじ、土塀)は破れ、三条大橋の上から、現在の皇居の賢所(かしこどころ)に当たる内侍所(ないしどころ)の燈火が見えたほどだったそうです。今では考えられないことです。
土塀が壊れてその隙間から、天皇の三種の神器の一つである八咫鏡(やたのかがみ)を祭る重要な建物の燈火(ともしび)が見えたとのことで、三条大橋から京都御所までどのくらいあるかと、地図で検索しましたら、何と2.3Kmでした。2Km余りの遠くから、燈火が見えたことに驚きました。
伊勢神宮の20年に1回の式年遷宮も、これに先立つ、第102代御花園天皇の時から、100年以上行われなかったそうです。そんな厳しい時代があったのですね。
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“神祗(大永元年―1521)
宮柱(みやはしら) 朽ちぬちかひを たておきて 末の世までの あとをたれけむ
田家(大永八年―1528)
傾ける 小田のかり庵(かりほ)は ますらおが 露霜ながら もりあかしけむ
(以上、御奈良院御製集)
独(ひとり)述懐(享禄二年―1529)
愚なる 身も今さらに そのかみの かしこき世世の 跡をしぞ思ふ
(御奈良院御製集拾遺)“(p210)
(小田村寅二郎 小柳陽太郎編著 『歴代天皇の御歌―初代から今上陛下まで二千首―』 日本教文社 昭和52年8月15日 第5版)
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「神祗」は 天の神、地の神のこと。
「小田」は、小さな田んぼ。
「かり庵(かりほ)」は、農作業のための粗末な仮小屋のこと。
1首目 宮殿の柱がしっかり立つように、天皇としての朽ちることのない誓いを立てて、後世に長く、跡を残し続けようということでしょうか。
2首目 傾いた小さい田んぼの作業用の仮小屋、ただでさえ粗末で、直しもできていなくて、露や霜が屋内にもみられるが、たくましいますらお(農夫)は、田んぼを守ってこの小屋の中で、夜を明かすのだろうという感じでしょうか。
3首目 愚かな身であるけれども、いまあらためて、昔からこれまでの天皇方のありがたい御事績が、まさに思われる、ということでしょうか。
手引書が特にないので、私なりに、解釈させていただいたところがあります。違っているところが、ありましたらお知らせください。
それぞれに、つつましい御生活の中で、天皇として後世に伝えるべきものを伝え続けるとの固い御決意が感じられます。
天皇陛下の御歌を学びたいと、あまり深く考えずに、文章を書き始めました。
天皇、皇后両陛下の御歌から、生き方を学ぶ、また心を癒されたい、そんな素朴な思いから始めたのですが、各時代の中で、むしろ、どんな困難にあっても、常に神々への祈りと共に、勇気をもって敢然と運命に立ち向かわれる天皇の御姿に出会うことになりました。
神々(ご先祖様)に祈る事、祈りながら不屈の精神で、運命に立ち向かうこと、そんな自分に少しでも近づけたら、嬉しいと思います。
今日も、読んでいただき、ありがとうございました。
皆様が、今日も一日、お元気でお過ごしくださいますよう、お祈り申し上げます。
参考文献:
○高森明勅著『日本の十大天皇』幻冬舎新書
タグ:皇室
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