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天皇の御歌(10)-第116代 桃園天皇 [桃園天皇]

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今日も、昨日にひき続き、第116代 桃園天皇(ご在世1741~1761年、御在位1747年~1762年(御年7歳~22歳))の御歌(おうた)を詠ませていただきます。


☆☆☆


“夕立(宝暦二年 ― 一七五二 ― 御年十二歳)

見るがうちに 雲重りて なるかみも やがて過ぎゆく 夕立の空
(なるかみ=雷)“

(p290)


“禁中花(宝暦五年 ― 一七五五 ― 御年十五歳)

ことしげき 世をも忘れて あかず見む 雲井の庭の 花のさかりは“

(p291)


“萬民祝(宝暦六年 ― 一七五六 ― 御年十六歳)

天が下 なべての民の たのしみも 我がよの春に わきてうれしき
(御会始)“

(p291)


(小田村寅二郎 小柳陽太郎 編著 『歴代天皇の御歌 ― 初代から今上陛下まで二千首 - 』 日本教文社 昭和52年8月15日 第5版)


☆☆☆

「ことしげき」の意味は「多忙である」とのこと。

「雲井」は「宮中、皇居のあるところ」の意味です。

「我がよの春」は、「人生などにおける絶頂期、最も充実していたり、最も物事が思い通りに進んでいる時期、またはそのような状態」の意味。

「天が下」は、「この世界」「日本全国」の意味です。

「わきて」は、「とりわけて」の意味です。

第1首めは、見る見るうちに、黒雲が重なって、雷が鳴ったかと思うと、やがて過ぎてゆく夕立の空を詠っておられます。夏の夕方、誰もが、空をむくむくと覆う黒雲、ゴロゴロとなる雷、しかし、ほどなく、何事もなかったかのように穏やかな空に代わり、時間の経過とともに、雲の隙間から空が見えたりする。そんな光景が、浮かんで参ります。


第2首めは、多忙な御政務の合間に、宮中のお庭に立たれ、お心の和む、色とりどりの花々に、いつまでも、こうして見ていたいとの、天皇のご様子がうかがわれます。

第3首めは、お祝いの席で、日本全国のすべての民のたのしみが、充実して盛んな有様を、とりわけうれしいことであると詠まれた「国と民を誉める歌」ということになるのでしょうか。16歳のお若い天皇陛下の、充実したお心が感じられます。


一方、この年、宝暦6年(1756年)は、後の「宝暦事件」の首謀者とされた公卿の竹内式部による、桃園天皇への直接進講(直接、御進講をさせていただくこと)が実現した年でもあります。

尊王論者であった竹内式部らは、この3年後に、京都所司代により、重追放に処せられます。

重追放は、江戸時代の「追放刑」の中で最も重いもの。
武士の場合は、犯罪地・住国および関八州・京都付近・東海道街道筋などに立ち入り禁止の刑とのこと。公卿のことは辞書にはありませんが、武士に準じたのであれば、京都付近立ち入り禁止ですから、その後、桃園天皇に、お会いすることはなかったと拝察申し上げます。

宝暦事件で、桃園天皇は、幼少の頃からの側近を失ってしまわれました。

そんなことが起こる前の、人生において物事が順調であった時期の御歌だと思うと、複雑な思いがいたします。


今日も、読んでいただき、有難うございました。

今日は、梅雨の合間で、晴れ間が見えて来ました。

皆様にとって、充実したよい一日でありますように。


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