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天皇の御歌(9)-第116代 桃園天皇 [桃園天皇]

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今日は、第117代 後桜町天皇の弟君でいらした、第116代 桃園天皇の御歌(おうた)を学びます。若くして亡くなられた桃園天皇の後に、後桜町天皇が、皇位におつきになりました。

桃園天皇の御在位は、御年7歳~22歳でした。

御年18歳の折り、「宝暦事件」が発生しました。京都に居た尊王論者らが、江戸幕府によって処罰された最初の事件とのことで、桃園天皇は御年18歳で、幕府から弾圧を受けられ、22歳で、御在位のままお亡くなりになられたとのことです。

ご苦労の多いご生涯であられたことと拝察申し上げます。

今回とりあげる御歌は、御年八歳、九歳、十二歳の時の御歌です。そんなお小さいころに作られた御歌かと、おどろきます。

“多少のことは御側近の人たちの御添削申し上げたこともあったと考へるべきであらうが、和歌のもつ「しらべ」や「風格」は決して文字や字句の添削などで一変し得るものではないのであって(中略)、ご成長なされての御歌を拝すれば、御幼時の御歌の「しらべ」「格調」が御生来のものであったことは、いっそう顕著にうかゞはれるである。”(p280)

編者がこう、書かれているように、御側近の御添削があったとしても、「しらべ」、「格調」は、御生来のものであったとのことを、学ばせていただきたいと思います。


☆☆☆


“池(寛延元年 ― 一七四八 ― 御年八歳)

秋の夜の ながむる空も くもりなく ひかりさやけき 池の月かげ“

(p289)


“水辺蛍(寛延二年 ― 一七四九 ― 御年九歳)

せきいるゝ 流れもきよき 鑓水に かげもすゞしく 蛍飛びかふ“

(p290)


“野菫(宝暦二年 ― 一七五二 ― 御年十二歳)

つゆながら 濃き紫の つぼすみれ 野邊の芝生に 今朝は摘ままし“

(p290)


(小田村寅二郎 小柳陽太郎 編著 『歴代天皇の御歌 ― 初代から今上陛下まで二千首 - 』 日本教文社 昭和52年8月15日 第5版)


☆☆☆


第1首めは、池の水面に、月のすがたがさやかにくもりなく映っている光景が、そのまま伝わって参ります。すなおで、清らかな御歌だと思います。

第2首めは、蛍の飛び交うさまです。

「せきいるゝ」は、「水をせき止めて、別の流れに引き入れる」意味とのこと、「鑓水」は、庭園において、水を導き入れて流れるようにしたものとのことです。

夏の夜、御所の庭園に、外の川からか、泉からか、引き入れられた清らかな水のうえに、蛍が飛びかっている、涼やかな光景が目に浮かびます。

第3首めの、野菫の「つぼすみれ」は、スッと伸びた可憐な花です。写真を見ますと、小さいですが、その品のあるありさまは、小さな蘭の花のようでもあります。(当ブログの写真は、スミレの写真が手元になかったので、代用ですみません)
つゆで紫の色の増した、つぼすみれを、そっと摘んでみようという、御歌です。

どの御歌も、やさしく、みずみずしく、詠われています。

「栴檀は双葉より芳し」と申しますが、8歳~12歳の、天皇陛下の「しらべ」に、今日もさわやかな空気を感じさせていただきました。

今日も、ブログを読んでいただき、有難うございました。

今日一日が、皆様にとって、良い日でありますよう、お祈り申し上げます。


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