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ご縁は不思議なもの [温故知新]

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祖母の愛蔵していた本がめぐりめぐって私の手元にきた。昭和6年発行の『新譯佛教聖典』という本だ。表紙は皮のようだがすっかりやわらかくなっている。
少しずつ読もうと思ったが文字が細かくてなかなか読み進められない。
そこで文字の大きな新しい版がないかとインターネットで調べてみたところ、この本はいろいろな変遷をたどって、『仏教聖典』(財団法人 仏教伝道協会発行)という名称になっていることがわかったので、仏教伝道協会のホームページを見て、現在発行されている『仏教聖典』の一覧から本を選ぼうと思った。

するとそこに見覚えのある本があった。それは私がかつて職場でよく目にしていた本だった。
中を詳しく見たことはなかったが、なつかしい本に再会した気持ちになり、さっそく取り寄せてみた。

本文に入る前に「法輪について」という文があり、その2ページ後に、法句経からの引用が書かれていた。


「DHAMMAPADA

Hatreds never cease by hatreds in this world. But love alone they cease. This is an ancient Law.(5)」

「法句経

怨みは怨みによって果たされず、忍を行じてのみ、よく怨みを解くことを得る。これ不変の真理なり。(5)」
(『和英対照仏教聖典』財団法人 仏教伝道協会発行 平成6年2月10日)

この言葉に初めて出会ったのは『生命の實相』という本を通してだった。


「「まことに『怨み心』をもってしては、その怨みを解くことはできない。ただ『怨みなき心』によってのみ怨みを解くことができる。このことは永劫に易(かわ)ることのない真理である」とは『法句経』の第五にある仏陀の聖言である。」(『生命の實相』頭注版第13巻 倫理篇53ページ、谷口雅春著、日本教文社刊)


冒頭の『新譯佛教聖典』では、このことは次のように書かれている。

「第五節 法句(のりのことのは)
(中略)
實(げ)にやこの世は、いかなるときも、怨(あだ)は怨(あだ)もて鎮(しず)まらず、怨(あだ)なきにこそ、鎮(しず)まらめ。これ古(いにしえ)よりの法(さだめ)なり。」(『新譯佛教聖典』348ページ 佛教教會発行 昭和六年三月十一日)

それにしても、この『怨みなき心』が「love alone」、「忍を行じてのみ」、「怨(あだ)なきにこそ」と、それぞれの本や言語によって異なる表現になっているのも、趣のあることである。

『生命の實相』が発刊されたのは昭和初期で昭和六年発行の『新譯佛教聖典』とほぼ同時代であるため、表現もいちばん似ていると思われる。

祖母が愛読していた本の、新版のすぐ近くで、長年仕事をしていたご縁を、あらためて不思議に思う。

『新譯佛教聖典』の表紙を開くと、次のような精密な美しい絵が描かれている。

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菩薩来迎図だろうか。



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