SSブログ

歴史を見るときに [上皇陛下]

歴史を見るときに時間の長さをどこまでとるかによって見え方が変わります。

国と国との関係について考えてみます。たとえば日本と韓国の関係について、近代以降のみの関係を見るのと、日本書紀の奈良時代までさかのぼってそれを見るのとでは印象がまったく変わります。

14年前のことですが、平成13年(2001年)12月18日に行われた「天皇陛下お誕生日に際して、天皇陛下の記者会見」における天皇陛下のお答えを読んだ時、大きな驚きを覚えました。

それは、記者会見の「問3」の、翌年開催されるサッカーのワールドカップが日本と韓国の共同開催で行われることに関連し「歴史的、地理的にも近い国である韓国に対し、陛下が持っておられる関心、思いなどをお聞かせください」との記者からの質問への天皇陛下の次のお答えを読んだ時のことでした。(以下引用)

「日本と韓国との人々の間には,古くから深い交流があったことは,日本書紀などに詳しく記されています。韓国から移住した人々や,招へいされた人々によって,様々な文化や技術が伝えられました。宮内庁楽部の楽師の中には,当時の移住者の子孫で,代々楽師を務め,今も折々に雅楽を演奏している人があります。こうした文化や技術が,日本の人々の熱意と韓国の人々の友好的態度によって日本にもたらされたことは,幸いなことだったと思います。日本のその後の発展に,大きく寄与したことと思っています。」
(宮内庁ホームページ、天皇陛下お誕生日に際し(平成13年)天皇陛下の記者会見
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/kaiken-h13e.html

当時の私が「日本と韓国の関係」を考えるとき、どうしても明治以降から第2次世界大戦までの両国の関係のみが思い出され、日本と韓国の関係の複雑さのために、個人はさておき、国同士が友好関係を築くのはとても困難であるという印象が先立ちました。

けれども、天皇陛下は「韓国に対する関心、思い」はという質問へのお答えの冒頭に、日本と韓国の人々の深い交流が日本書紀に詳しく記されている事、様々な文化や技術が伝えられたこと、現在の宮内庁学物の楽士にも当時の移住者の子孫がいらっしゃること、こうした文化や技術が日本にもたらされたことが日本のその後と発展に大きく寄与したことを述べていらっしゃいました。

見つめていらっしゃる歴史の時間のとても長いことに驚くとともに深く感銘いたしました。

さらに「日本の人々の熱意と韓国の人々の友好的な態度」によって「こうした文化や技術が日本にもたらされた」というお言葉には、当時の日本人の熱意を誉めると同時に当時の韓国の人々の友好的な態度に感謝されるお気持ちがこもっているように思われます。

このブログを書くために、宮内庁のホームページに掲載されている記者会見のお答えをあらためて読みましたが、読めば読むほど、おことばのひとつひとつに「日本と韓国の理解と信頼感が深まる」ことを願っておられる天皇陛下のお気持ちがあらわされていることに、あらたな感動を覚えました。

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。