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直接国民と接すること―象徴天皇の在り方 [今上陛下]

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嵯峨天皇の写経について、皇太子でいらしたときの2017年2月23日の御誕生日の記者会見の中で、今上陛下が語っておられます。

この記者会見は、前年2016年(平成28年)8月に上皇(当時は天皇陛下)が象徴天皇のあり方についてのビデオメッセージを御発表された翌年の2月、直近のお誕生日の会見でした。

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“陛下[上皇陛下]は,おことばの中で「天皇の務めとして,何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが,同時に事にあたっては,時として人々の傍らに立ち,その声に耳を傾け,思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました」と述べられました”

“私も,阪神淡路大震災や東日本大震災が発生した折には,雅子と共に数度にわたり被災地を訪れ,被災された方々から直接,大切な人を失った悲しみや生活面での御苦労などについて伺いました。”

“そうした機会を通じ、直接国民と接することの大切さを実感しております”

“このような考えは、都を離れることがかなわなかった過去の天皇も同様に強くお持ちでいらっしゃったようです。”

“昨年の8月,私は,愛知県西尾市の岩瀬文庫を訪れた折に,戦国時代の16世紀中頃のことですが,洪水など天候不順による飢饉きんや疫病の流行に心を痛められた後奈良天皇が,苦しむ人々のために,諸国の神社や寺に奉納するために自ら写経された宸翰(しんかん)般若心経(はんにやしんぎよう)のうちの一巻を拝見する機会に恵まれました。”

“そのうちの一つの奥書には「私は民の父母として,徳を行き渡らせることができず,心を痛めている」旨の天皇の思いが記されておりました。”

“災害や疫病の流行に対して,般若心経を写経して奉納された例は,平安時代に疫病の大流行があった折の嵯峨天皇を始め,鎌倉時代の後嵯峨天皇,伏見天皇,南北朝時代の北朝の後光厳天皇,室町時代の後花園天皇,後土御門天皇,後柏原天皇,そして,今お話しした後奈良天皇などが挙げられます。”

”私自身,こうした先人のなさりようを心にとどめ,国民を思い,国民のために祈るとともに,両陛下がまさになさっておられるように,国民に常に寄り添い,人々と共に喜び,共に悲しむ,ということを続けていきたいと思います。私が,この後奈良天皇の宸翰(しんかん)を拝見したのは,8月8日に天皇陛下のおことばを伺う前日でした。時代は異なりますが,図らずも,2日続けて,天皇陛下のお気持ちに触れることができたことに深い感慨を覚えます。”

(「皇太子殿下の記者会見 会見年月日:平成29年2月21日」宮内庁ホームページ
https://www.kunaicho.go.jp/page/kaiken/show/9

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「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば(平成28年8月8日)」について、平成28年9月22日に、私のブログでも、書かせていただきました。

https://onkochisin.blog.ss-blog.jp/archive/201609-1

政治的発言にならないようにと、渾身の力を込めて国民にメッセージを発せられた上皇陛下のお気持ちを思うと、「皇室典範の改正」について、あれから4年半が過ぎたのに未だ解決していないことに、深い悲しみを覚えます。


第52代・嵯峨天皇の御代は、藤原氏の勢力争いの中で、「薬子の変」が起こりました。そのような難しい時代においても、疫病に際して、写経によって国民に御心を寄せられた嵯峨天皇のおすがたは、一貫しておられ、そのお心を象徴天皇のかたちで、上皇陛下、今上陛下が受け継いでいらっしゃいます。

上皇陛下、今上陛下の震災やコロナ禍に際して、国民に御心を寄せられていること、災厄の去ることと希望をもって明るい将来を思い描くように激励して下さること、絶え間なく祈ってくださっていることを、尊くありがたいことと感謝申し上げます。

今日も読んでいただき、ありがとうございました。
皆様にとって良い一日でありますようにお祈り申し上げます。


ご参考:

該当する、皇太子殿下(当時)のお言葉の一部を謹写させていただきます。

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“象徴天皇については,陛下が繰り返し述べられていますように,また,私自身もこれまで何度かお話ししたように,過去の天皇が歩んでこられた道と,そしてまた,天皇は日本国,そして日本国民統合の象徴であるという憲法の規定に思いを致して,国民と苦楽を共にしながら,国民の幸せを願い,象徴とはどうあるべきか,その望ましい在り方を求め続けるということが大切であると思います。

陛下は,おことばの中で「天皇の務めとして,何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが,同時に事にあたっては,時として人々の傍らに立ち,その声に耳を傾け,思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました」と述べられました。私も,阪神淡路大震災や東日本大震災が発生した折には,雅子と共に数度にわたり被災地を訪れ,被災された方々から直接,大切な人を失った悲しみや生活面での御苦労などについて伺いました。とても心の痛むことでしたが,少しでも被災された方々の痛みに思いを寄せることができたのであればと願っています。また,ふだんの公務などでも国民の皆さんとお話をする機会が折々にありますが,そうした機会を通じ,直接国民と接することの大切さを実感しております。

このような考えは,都を離れることがかなわなかった過去の天皇も同様に強くお持ちでいらっしゃったようです。昨年の8月,私は,愛知県西尾市の岩瀬文庫を訪れた折に,戦国時代の16世紀中頃のことですが,洪水など天候不順による飢饉きんや疫病の流行に心を痛められた後奈良天皇が,苦しむ人々のために,諸国の神社や寺に奉納するために自ら写経された宸翰(しんかん)般(はん)若(にや)心(しん)経(ぎよう)のうちの一巻を拝見する機会に恵まれました。紺色の紙に金泥で書かれた後奈良天皇の般(はん)若(にや)心(しん)経(ぎよう)は岩瀬文庫以外にも幾つか残っていますが,そのうちの一つの奥書には「私は民の父母として,徳を行き渡らせることができず,心を痛めている」旨の天皇の思いが記されておりました。災害や疫病の流行に対して,般若心経を写経して奉納された例は,平安時代に疫病の大流行があった折の嵯峨天皇を始め,鎌倉時代の後嵯峨天皇,伏見天皇,南北朝時代の北朝の後光厳天皇,室町時代の後花園天皇,後土御門天皇,後柏原天皇,そして,今お話しした後奈良天皇などが挙げられます。私自身,こうした先人のなさりようを心にとどめ,国民を思い,国民のために祈るとともに,両陛下がまさになさっておられるように,国民に常に寄り添い,人々と共に喜び,共に悲しむ,ということを続けていきたいと思います。私が,この後奈良天皇の宸翰(しんかん)を拝見したのは,8月8日に天皇陛下のおことばを伺う前日でした。時代は異なりますが,図らずも,2日続けて,天皇陛下のお気持ちに触れることができたことに深い感慨を覚えます。”
「皇太子殿下の記者会見 会見年月日:平成29年2月21日」宮内庁ホームページ
https://www.kunaicho.go.jp/page/kaiken/show/9

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言葉の意味

宸翰:(しんかん)は、天皇自筆の文書のこと。宸筆(しんぴつ)、親翰(しんかん)ともいう。


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