天皇の御歌(75)―第124代・昭和天皇(3) [昭和天皇]
昭和天皇を思い起せば、先の大戦のことを思わずにいられません。今のウクライナの戦闘にも思いがつながります。爆撃に苦しむ住民の皆さん。戦争には、それぞれに国の言い分があります。ロシアにはロシアの言い分が、ウクライナにもしかり。けれども相手国の領土に侵攻して、戦闘員でもない住民を脅かし命や財産を奪うことは、自国の正当性をいくら述べても、越えてはいけない一線を越えたと言わざるを得ないと思います。
90路を超えた母は戦争経験者です。会いに行くたびに、必ず空襲の話を聞かされます。「小さな子供たちがクウチュウ、クウチュウと恐がって泣いていた、今の日本は、戦争が無くて本当にありがたい」と何度聞かされたことでしょう。
ウクライナでは、どれだけ幼い子供たちが空襲におびえて泣いているかと思うと、胸が痛みます。
昭和天皇の平和の祈りに思いを致し、停戦が実現し、ウクライナに平穏な日々が戻ることを祈らせていただきます。
[昭和天皇]
御在世:1901―1989(崩御・87歳)
御在位:1926―1989(26歳~87歳)
☆☆☆
(昭和6年―1931―御年31歳)
*9月、満州事変起る
社頭雪
ふる雪に こころきよめて安らけき 世をこそいのれ 神のひろまへ
(昭和8年―1933―御年33歳)
*国際連盟脱退
朝海
天地の 神にぞいのる朝なぎの 海のごとくに 波たたぬ世を
(p399)
(昭和15年―1940―御年40歳)
迎年祈世
*日独伊三國同盟締結。大政翼賛会發足
西ひがし むつみかはして榮ゆかむ 世をこそいのれ としのはじめに
(p400)
(小田村寅二郎 小柳陽太郎 編著『歴代天皇の御歌―初代から今上陛下まで二千首-』 日本教文社 昭和52年8月15日 第5版)
☆☆☆
[言葉の意味]
朝なぎ:夜間の陸風が日中の海風に交代する時刻に,風がやんで静かになる現象。(コトバンク)
[感想]
1首目「ふる雪に心をきよめて、神の御前に安らけき世をいのられる」
2首目「天地の神々に、朝なぎの 海のごとくに 波たたぬ世をいのられる」
3首目「西洋も東洋も、仲むつまじく手を取り合って榮えていく世をいのられる」
暖房の無い神の御前で、冷たい雪に心を浄めていのられる。
満州事変、国際連盟脱退、日独伊三国同盟、次々に大戦への道が推し進められる世をご覧になりながら、祈り続けられる昭和天皇のお姿。
特に、3首目は、イギリスを訪問されて、英国王室とも交流のあった昭和天皇におかれては、イギリスを敵に回す国際連盟脱退、三国同盟は痛恨の極みでいらしたことと思います。世界の行く末が見えるのに、戦争の勢いが止められず、ただ祈られることしかなかったのでしょう。
平和への祈りは、最近の敬宮愛子内親王殿下の、中学ご卒業作文を思い起こさせられます。
☆☆☆
“何気なく見た青い空。しかし、空が青いのは当たり前ではない。毎日不自由なく生活ができること、争いごとなく安心して暮らせることも、当たり前だと思ってはいけない。なぜなら、戦時中の人々は、それが当たり前にできなかったのだから。日常の生活の一つひとつ、他の人からの親切一つひとつに感謝し、他の人を思いやるところから「平和」は始まるのではないだろうか。
そして、唯一の被爆国に生まれた私たち日本人は、自分の目で見て、感じたことを世界に広く発信していく必要があると思う。「平和」は、人任せにするのではなく、一人ひとりの思いや責任ある行動で築きあげていくものだから。”
(産経新聞2017/3/22 「卒業記念文集の作文「世界の平和を願って」全文」)
https://www.sankei.com/article/20170322-LWNVTS255BM47HUSW5WI2BUT3Y/3/
☆☆☆
上記は、愛子様の中学ご卒業の作文の一部です。曾祖父でいらっしゃる昭和天皇の、平和への祈りが、魂の奥底深く、15歳の中学生でいらっしゃる愛子様に受け継がれていることに、皇室の重厚な伝統を感じます。
ウクライナの戦闘が早期に終了すること、世界で紛争に苦しむ人々に平和な日々が訪れることを、微力ながら祈らせていただきます。
今日も、読んでいただき有難うございました。
皆様にとって、平和な心豊かな毎日であられますよう、お祈り申し上げます。
90路を超えた母は戦争経験者です。会いに行くたびに、必ず空襲の話を聞かされます。「小さな子供たちがクウチュウ、クウチュウと恐がって泣いていた、今の日本は、戦争が無くて本当にありがたい」と何度聞かされたことでしょう。
ウクライナでは、どれだけ幼い子供たちが空襲におびえて泣いているかと思うと、胸が痛みます。
昭和天皇の平和の祈りに思いを致し、停戦が実現し、ウクライナに平穏な日々が戻ることを祈らせていただきます。
[昭和天皇]
御在世:1901―1989(崩御・87歳)
御在位:1926―1989(26歳~87歳)
☆☆☆
(昭和6年―1931―御年31歳)
*9月、満州事変起る
社頭雪
ふる雪に こころきよめて安らけき 世をこそいのれ 神のひろまへ
(昭和8年―1933―御年33歳)
*国際連盟脱退
朝海
天地の 神にぞいのる朝なぎの 海のごとくに 波たたぬ世を
(p399)
(昭和15年―1940―御年40歳)
迎年祈世
*日独伊三國同盟締結。大政翼賛会發足
西ひがし むつみかはして榮ゆかむ 世をこそいのれ としのはじめに
(p400)
(小田村寅二郎 小柳陽太郎 編著『歴代天皇の御歌―初代から今上陛下まで二千首-』 日本教文社 昭和52年8月15日 第5版)
☆☆☆
[言葉の意味]
朝なぎ:夜間の陸風が日中の海風に交代する時刻に,風がやんで静かになる現象。(コトバンク)
[感想]
1首目「ふる雪に心をきよめて、神の御前に安らけき世をいのられる」
2首目「天地の神々に、朝なぎの 海のごとくに 波たたぬ世をいのられる」
3首目「西洋も東洋も、仲むつまじく手を取り合って榮えていく世をいのられる」
暖房の無い神の御前で、冷たい雪に心を浄めていのられる。
満州事変、国際連盟脱退、日独伊三国同盟、次々に大戦への道が推し進められる世をご覧になりながら、祈り続けられる昭和天皇のお姿。
特に、3首目は、イギリスを訪問されて、英国王室とも交流のあった昭和天皇におかれては、イギリスを敵に回す国際連盟脱退、三国同盟は痛恨の極みでいらしたことと思います。世界の行く末が見えるのに、戦争の勢いが止められず、ただ祈られることしかなかったのでしょう。
平和への祈りは、最近の敬宮愛子内親王殿下の、中学ご卒業作文を思い起こさせられます。
☆☆☆
“何気なく見た青い空。しかし、空が青いのは当たり前ではない。毎日不自由なく生活ができること、争いごとなく安心して暮らせることも、当たり前だと思ってはいけない。なぜなら、戦時中の人々は、それが当たり前にできなかったのだから。日常の生活の一つひとつ、他の人からの親切一つひとつに感謝し、他の人を思いやるところから「平和」は始まるのではないだろうか。
そして、唯一の被爆国に生まれた私たち日本人は、自分の目で見て、感じたことを世界に広く発信していく必要があると思う。「平和」は、人任せにするのではなく、一人ひとりの思いや責任ある行動で築きあげていくものだから。”
(産経新聞2017/3/22 「卒業記念文集の作文「世界の平和を願って」全文」)
https://www.sankei.com/article/20170322-LWNVTS255BM47HUSW5WI2BUT3Y/3/
☆☆☆
上記は、愛子様の中学ご卒業の作文の一部です。曾祖父でいらっしゃる昭和天皇の、平和への祈りが、魂の奥底深く、15歳の中学生でいらっしゃる愛子様に受け継がれていることに、皇室の重厚な伝統を感じます。
ウクライナの戦闘が早期に終了すること、世界で紛争に苦しむ人々に平和な日々が訪れることを、微力ながら祈らせていただきます。
今日も、読んでいただき有難うございました。
皆様にとって、平和な心豊かな毎日であられますよう、お祈り申し上げます。
タグ:愛子様
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