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天皇の御歌(74)―第124代・昭和天皇(2) [昭和天皇]

20220430blog DSC_1182.JPG昨日、4月29日は「昭和の日」でした。もともと昭和天皇のお誕生日でしたが、1989年に崩御された後、みどりの日という祝日になり、 2007年、祝日に関する法律の改正によって,新たに昭和の日となりました。

御在世:1901―1989(崩御・87歳)
御在位:1926―1989(26歳~87歳)

昭和天皇の御在位期間は62年で、飛鳥時代以降の天皇では、最長とされています。飛鳥時代以前は、御在位期間について、複数の説があり、不確定要素が多いとのことです。御在位期間が、歴史の記録において、はっきりしている天皇では、最長ということなのですね。(nippon com)

https://www.nippon.com/ja/japan-data/h00423/


今日は、昭和天皇をしのび、ご業績を讃え、感謝の気持ちとともに、御製をまなばせていただきます。

☆☆☆

“(昭和20年―1945―御年45歳
*沖縄陥落、ポツダム宣言受諾。連合軍の占領下に入る

社頭寒梅
風さむき しもよの月に世を祈る ひろまへ清く うめかをるなり

終戦後の御製
國柄を ただ守らんといばら道 すすみゆくとも いくさとめけり
(p401)


(昭和23年―1948―御年48歳)
*極東軍事裁判判決、A級戦犯死刑

悲しくも たたかひのためきられつる 文の林を しげらしめばや

たゆまずに すすむがををし 路をゆく 牛の歩みの おそくはあれども
(p403)


(昭和33年―1958―御年58歳)

赤間神宮ならびに安徳天皇陵に詣でて

水底に 沈み給ひし遠つ祖(おや)を 悲しとぞ思ふ 書(ふみ)見るたびに
(pp407~408)

(小田村寅二郎 小柳陽太郎 編著『歴代天皇の御歌―初代から今上陛下まで二千首-』 日本教文社 昭和52年8月15日 第5版)

☆☆☆


言葉の意味:

しもよ:霜夜。霜の降りる寒い夜。(weblio)

ひろまへ:広前。御前。▽神仏の前の尊敬語(weblio)

國柄(くにがら):《古くは「くにから」とも》1 国家の成り立ち。国の状態。
(中略) その国や地方に特有の持ち味。「お―が表れる」(コトバンク)

文の林(ふみのはやし):
ぶん‐りん【文林】 の解説 1 文学者の仲間。文苑。文壇。「儒家―」 2 詩歌・文章などを集めたもの。詩文集。文苑。(goo辞書)

赤間神宮:赤間神宮(あかまじんぐう)は、山口県下関市にある神社である。旧社格は官幣大社。壇ノ浦の戦いにおいて幼くして亡くなった安徳天皇を祀る。(Wikipedia)


[大意]

1首目
風が冷たく 霜が降りる夜の月に世の行く末を祈っている神の御前に 清らかな梅の香りがただよってきます

2首目
日本の国のあり方をただ守るために、いばらの道を進むことになるけれども、戦争をとめたのです

3首目
悲しいことに、戦争のためにずたずたに切られてしまった、詩歌、文章の豊かな林を、ふたたび、しげらせなければ

4首目
決して休むことなく、前に進む姿が雄々しい。道をゆく牛の歩みは、ゆっくりだけれども、確実です。

5首目
海の底に入水して沈んでしまわれた遠いご先祖でいらっしゃる安徳天皇のことを、(神宮に置かれた?)書を見るたびに、悲しく思います


[感想]

1首目、2首目は終戦の年の御製です。

1首目は、梅の季節ですから、1、2月頃でしょう。霜が降りるほどの夜、冷たい社殿の中で、神の御前に日本の将来を祈られる昭和天皇。ふと香ってきた梅の香は、天皇を励まされる天地の神からのメッセージだったのかも知れません。

2首目は、昭和天皇の固い御決意。この時は、死をもいとわない、どんな苦労でも耐え忍ぶという御決意でいらしたことと拝察申し上げます。その御決意が、その後の日本の奇蹟的な立ち上がりの支柱になったのだと思います。

3首目を読みながら、萬葉集から始まって、数々の勅撰和歌集が平安時代に編纂され、伝承されてきた日本の「文の林」の豊かさを思います。文の林、豊かな日本語の蓄積が、日本のあり方を、見えない所で形作り、支えているのだと思います。戦争やアメリカの占領によって、日本語が軽視され、日本文化が軽んじられる時期が、長く続いたことを思うと、それを予見される御製のような気がいたします。「文の林をしげらしめばや」は、今にも通じるお言葉だと思います。

4首目。牛は、歩みはゆっくりですが、重い荷を背負っても、堂々と黙々と文句を言わずに、たゆみなく前進します。その雄々しい姿にならって、急がなくてもよいから、弱音を吐くことなく、堂々と前進しなさいと、昭和天皇に激励していただいたような気がいたします。

5首目は、山口県下関市にある、安徳天皇をお祀りした赤間神宮を訪ねられての御製です。

大河ドラマはちょうど平家の壇ノ浦の戦いにさしかかると思いますが、その戦いで、800年前に亡くなられた幼い安徳天皇を遠い祖(みおや)と詠まれた昭和天皇のおことばが、予想外でした。天皇なので、昔の幼い天皇でも「みおや」と拝まれる感覚でいらっしゃるのですね。日本の歴史は奥が深いと思います。御製を詠まれた時の詳しい説明はありませんが、昭和天皇が、赤間神宮に行幸なさったときに、神宮に納められている安徳天皇の御事が書かれた文章をご覧になられ詠まれた御製ではないかと、拝察申し上げます。

赤間神宮はまだ行ったことがありませんが、いつか行ってみたいです。竜宮城のような美しい神宮だとのことです。
https://www.fugu-sakai.com/shimonoseki/karato/akama/


今日も読んでいただき有難うございました。
昭和天皇の御製を拝読して、昭和をなつかしく思い出しました。
みなさま、どうぞ実り多い連休をお過ごしください。
タグ:昭和の日
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