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天皇の御歌に親しむ [ブログについて]

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ブログの第一の目標を「天皇陛下のことを気楽に話題にできるようにしたい」と書きましたが、その「よすが」として、なぜ「天皇の御歌(御製)」を学ぶことにしたのか、そのことを少し詳しく書いてみたいと思います。

天皇陛下のことを話題にするときに、一つの落とし穴があります。

それは、自己顕示欲のために、もしくは自分の属するグループを宣伝するために、天皇陛下の話題を利用するという落とし穴です。自分がそういう失敗をしてきたので、そのことを深く反省しています。

また、学問的に天皇陛下のことを調べると、とかく観念論に陥りがちです。ことに、天皇陛下についての意見が自分と対立する人との議論になると、互いに、理屈だけではなかなか納得できず、つい感情的になりがちです。皇室典範改正の問題について人と話すとき、そのことが感じられます。

そういうときに、天皇陛下の御歌(御製)を拝すると、一定の品位が保てるように思います。天皇陛下の御心に照らして、自分の言葉遣いを反省することができ、ことの本質に迫った会話ができます。

それは、天皇陛下御自身が、深い御内省の元に、心の真実を和歌の形で詠われているからだと思います。このことは『歴代天皇の御歌』の「編集ノート」に、次のように書かれています。


☆☆☆

“今日では、「和歌」は一種の趣味的な教養のひとつに考へられがちであるのに対して、古代からの日本人は(歴代の天皇がたは率先されてそれをなされたのであるが)、「和歌を詠む」といふそのことをもって、「やむにやまれぬ思ひを発露させるための大切なてだて」と受けとめ、「和歌を詠む」ことが、とりもなほさず「人の践(ふ)むべき道」「日本人の誰もが践むことのできる道」と理解してきたやうである。
ふりかへって考えて見ると、「自己の心のうちに生まれた感動」を、喜びにつけ、悲しみにつけ、また憤(いきどほ)りにつけ、それらをありのまゝに素直な〝ことば〟で、五・七・五・七・七の三十一文字の中に詠みあげるといることは、さう簡単に出来ることではない。まづ第一には、素材となる〝心の感動〟が生まれないやうな弛緩した生活からは、まともな和歌は決して生まれて来ない。そのうへ、心の中の感動を〝ことば〟に表現すると言っても、それを〝虚飾無く言ひ表す〟といふことは、さらにむづかしいことで、よほど虚心坦懐な心境に立たなくては、容易にできることではない。それは〝我を他人に良く見せよう〟とし勝ちな信条とはまさに正反対の努力を必要とするからである。
 このこと一つ考へてみても、わが歴代の天皇がたが、この「和歌」の御修業をその御生涯を通じて、かくも熱心にご努力された。といふことは、とりもなほさず、天皇が、その御主観が独善化しがちなことをきびしく御自省なされ、万人にかよふやうな広く豊かな御心をお持ち続けなさらう、と目指され、〝私心〟を離れるために絶大な御努力を一貫して受け継いで来られたことを意味するであらう。“
(p7)

(小田村寅二郎 小柳陽太郎編著『歴代天皇の御歌―初代から今上陛下まで二千首―』日本教文社 昭和52年8月15日 第5版)

☆☆☆

古代からの日本人は和歌を詠むことを「やむにやまれぬ思ひを発露させるための大切なてだて」と受け止め、和歌を詠むことが「日本人の誰もが践(ふ)むことのできる道」と理解してきたようです。

践(ふ)む:守り行う

「ふむ」には色々な意味がありますが、この場合「守り行う」がいちばんふさわしいと思います。


生きていると、自分の感情の微妙な動きを、ありのままに表現できない場面がたくさんあります。悲しみや憤りが心の中にたまって、憂鬱になることもあります。「やむにやまれぬ思い」を閉じ込めなければならないときがあります。喜びでも、感動でも、日常の言葉では十分に表しきれないことがあります。

それらの「やむにやまれぬ思い」は、日常の言葉に出来なくても、和歌に詠うことならできます。

ふつうの文章でそういう思いを書きつらねることや、冥想などで、心の内を見つめ直すこともできるでしょう。しかし、和歌に詠うことによって、よりいっそう「腑に落ちる」形に、できる気がします。

「やむにやまれぬ思い」を何回も自分の中で反芻し、その思いに即した言葉を選び、書き留めて、心の中をありありと見つめ直すことができます。自然の山野、風雨、植物、虫などに、その思いを託すこともできます。

歴代の天皇がたは「やむにやまれぬ思い」を言葉に託すこと、和歌を詠むことを、御修業とされました。それは、「自分をよく見せよう」という思いをなくして虚心坦懐な心境に立ち、主観が「独善化しがちなことを自省」して、「万人にかよう」広く豊かな心を持ち続けるという、厳しい道です。

天皇陛下のように、和歌を詠むことを通して修業することは難しいかも知れませんが、天皇が詠まれた和歌を学ぶことで、少しでも当時の天皇の御心に近づくことなら、誰でも出来るのではないかと思いました。

そこで、歴代の天皇が詠まれた御歌を読むことを続けてみよう、それを人に勧める前に「自分から始めよう」と思い立ちました。

予想以上に、それは楽しい作業でした。天皇陛下の御歌を写し、分からない言葉の意味を調べて、自分なりに解釈して説明を考えて書きとどめるのは。夢中で過ごした3か月余りでした。

それぞれの天皇が果たされた御事績も、少しずつですが、学ぶことができて、天皇が生きて来られた時代に、これまでよりずっと、親しみを感じられるようになりました。

天皇の喜び、悲しみ、天皇としての御覚悟を、御歌(御製)を通して学ぶことを選んで、ほんとうによかったと思いました。美しいお言葉に日々触れられる幸せをしみじみとかみしめています。


今日も読んでいただき、ありがとうございました。

皆様にとって、今日も明日も、さわやかな日でありますようお祈り申し上げます。

タグ:御歌 天皇 皇室
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