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天皇の御歌(40)―第106代・正親町天皇 [正親町天皇]

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今日は一気に時代を下って
第106代・正親町天皇の
御歌を学ばせていただきます。

御在世:1517~1593(崩御・77歳)
御在位:1557~1586(41歳~70歳)

大河ドラマ「麒麟がくる」
が再開されました。

大河ドラマの主人公、明智光秀が活躍した時代の天皇が正親町天皇です。大河ドラマ「麒麟がくる」では、坂東玉三郎さんが正親町天皇を演じておられます。玉三郎さんが、映像として大河ドラマに出演したのは初めてとのことが、意外でした。声のみの出演があったのでしょうね。


第106代・正親町 (おほぎまち) 天皇は第105代・後奈良天皇の第一皇子です。
御奈良天皇の御代は、皇室の財産が極限状況に衰微した御代であり、紫宸殿の築地(塀)が破れ、内侍所(現在の皇居の賢所にあたる)の燈火が、2キロ離れた三条大橋から見えたという話があったことには前に述べましたね。

正親町天皇も御即位されて数年間は、国内の騒乱が激しく、御所の修理、日常の経費の御調達さえお困りになられました。天皇の践祚(せんそ)の後、足かけ四年目、永禄三年(1560年)に、中国地方の毛利元就父子の献上金によって、ようやく即位の儀式が行われました。

践祚:天皇の地位をうけつぐこと

朝廷が経済的極貧から救済されるのは、織田信長が天下を平定したのちのことです。
織田信長は永禄十年(1567年)美濃の斎藤龍興(たつおき)を破り、この年十月、正親町天皇は信長に対して「御料所興復の勅(みことのり)」を下され、信長はこれを拝受して、翌永禄十一年(1568年)足利義昭を擁し、新将軍として足利幕府を再興し、皇居の造営に従事しました。信長の皇居造営の志は、豊臣秀吉にも受け継がれました。

織田信長が、本能寺で明智光秀の急襲に遭い自刃したのは、正親町天皇の御在位30年間のうち、26年目の事でした。(天正十年(1582年))


☆☆☆

“ 叢(くさむら)の蛍(ほたる)

しげりそふ 草の葉がくれ 飛ぶ蛍
 露にひかりの みだれてぞ行く

夕立

なるかみの たゞひととほり 一さとの
 風もすゞしき 夕立のあと

 秋夕

それとなく すゞろに物の かなしきは 
 色かはりゆく 秋の夕ぐれ

 庭紅葉

秋はみな 一木(ひとき)が上も のこりなく
 うつろひかはる 軒のもみぢ葉

 初冬

花に見し 千草も寂し 枯れて行く
 野邊(のべ)のけしきに 冬は來にけり

(中略)(以上、正親町院百首)“

(pp216~217)

(小田村寅二郎 小柳陽太郎編著『歴代天皇の御歌―初代から今上陛下まで二千首―』日本教文社 昭和52年8月15日 第5版)

☆☆☆


言葉の意味

すゞろ:あてのないさま。また、これといった理由・目的のないさま。漫然。

1首目。しげり合っている草むらの葉に見え隠れして飛ぶ蛍よ、露に蛍の光が宿っては、乱れるように揺れている

2首目。雷が鳴ってひと時に去り、暑かった里に涼しい風が吹いていく、夕立のあとは。

3首目。それとなく、わけもないのに、もの悲しく思われる。濃い緑が枯れ葉色に、徐々に変わっていく秋の夕ぐれは。

4首目。秋はみな、一本の木の上から下まで、すべての葉が落ちて、うつろい変わっていく、軒のもみぢの葉は。

5首目。つい先ごろまで、秋の花が見えて、多くの草が茂っていたのに、みな枯れて行く。野辺の景色に、冬が来たのだなあと思う。


どの御歌も息をのむような美しさです。どこまで味わえるかということで、書き直しを試みましたが、難しい言葉はなく、そのまま味わっていただけばよいと思います。

「すゞろに」、「なるかみ」、「もみぢ葉」、日本語の美しい響きが心に沁みます。


今日も読んでいただき有難うございました。

雨続きでしたが、明日、明後日は晴れるそうです。皆様にとって晴れやかな一日でありますようお祈り申し上げます。

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