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天皇の御歌(26)―第35代皇極天皇・第37代斉明天皇 [皇極天皇・斉明天皇]

PICT1414海blog.JPG今日も昨日の続きで、
第35代・皇極天皇、
重祚され
第37代・斉明天皇の御歌を学びます。

御在世:594~661(崩御68歳)、御在位642~645年(49歳~52歳)
重祚して御在位655~661年(62歳~68歳)


愛孫健王(たけるのみこ)を8歳で亡くされた斉明天皇は、御悲しみを癒すために、紀の国の温泉にお出ましになられました。しかし、旅先でも愛しい孫のことが片時も心を離れることが無かったようです。その思いを叙情豊かに詠われました。


☆☆☆

“天皇、時時に唄ひたまひて 悲哭(みね)す。同四年冬十月(かむなづき)、紀温湯(きのゆ)に 幸(いでま)す。天皇、皇孫健王(みまごたけるのみこ)を 憶(おもほし)いでて、愴爾(いた)み 悲泣(かなし)びたまふ。 乃(すなは)ち 口號(くつうた)して 曰(のたま)はく、

山越えて 海わたるとも おもしろき 今城のうちは 忘らゆましじ 其一(それひとつ)

水門(みなと)の 潮(うしほ)のくだり 海(うな)くだり 後ろも暗(くれ)に 置きてか行かむ 其二(それふたつ)

愛(うつく)しき 吾(あ)が若き子を 置きてか行かむ 其三(それみつ)

秦大蔵造萬里(はだのおほくらのみやつこまろ)に 詔(みことのり)して曰(のたま)はく、「斯の歌を傳へて、世に忘らしむこと勿れ」と のたまふ。(以上、日本書紀、巻ニ十六)“
(pp41~42)

(小田村寅二郎 小柳陽太郎編著 『歴代天皇の御歌―初代から今上陛下まで二千首―』 日本教文社 昭和52年8月15日 第5版)

☆☆

“(大意その一)
 飛鳥の都から紀州の牟婁の温湯に行くには、山々や谷々を越え、はるばる海を渡って行くのであるが、たとひどんなに遠く都を離れても、山々や海岸の風向がどんなに美しくあらうとも、いとしい吾が孫が葬られてゐる今城の墓所(おくつき)が片時も心から離れず、心がいっぱいで、今城(いまき)を忘れることなど、たうていできないであらう。“(pp173~174)

“(大意その二、その三)
いとしいあの孫をひとりぼっちに置き去りにして、塩の流れにのって、実を渡って、牟婁の湯へいかうというふのか。ああ年歯もゆかぬあはれにいじらしいあの子をたゞ一人置き去りにして行かふといふのか、後髪をひかれる切ない想ひで、わたしの心は真暗だ。“(p174)

(山口悌治著『万葉の世界と精神 前篇』、日本教文社)

☆☆☆

1首目の「おもしろき」は、古くは「深く心をひかれる、限りなく懐かしく慕わしい」という場合にも使われるそうです。

「忘らゆましじ」に、忘れることは決してできないだろうという、強い思いが表れています。

悲しみを忘れるための、温泉の御幸でも、御孫健王を忘れることができない絶え間ない悲しみを詠われています。

斉明天皇の御陵は越智崗上御陵(おちのおかのえのみささぎ)とのことです。
https://www.kunaicho.go.jp/ryobo/index.html
(35又は37をクリックしてください)


斉明天皇御陵に参拝したことはありませんが、参拝された、上記『万葉の世界と精神』の著者・山口悌治氏によれば、何百段か石段を登る中腹に愛孫・大田皇女(おおたのひめみこ)の御陵があり、登りつめた斉明天皇の御陵には、愛孫健王のほかに、斉明天皇の皇女・間人皇女(はしひとのひめみこ)も合葬されているとのことです。愛娘1人と愛孫2人を抱くように永眠されてゐる斉明天皇の愛情深い御人格がいまもそこに息づいているかのようです。

御陵は、山口悌治氏の著書を読んでから、いくつか巡らせていただき、その清涼な雰囲気に魅せられました。古代の天皇の御陵を巡ってから、飛鳥・奈良時代の万葉集歌を読むと、時代を超えて伝わって来る生命感が伝わってくるような気がいたします。機会があればまた行ってみたいです。

今日も読んでいただき、有難うございました。

雨が降って少し涼しくなるかと思います。今日が皆様にとって元気の出る一日でありますようお祈り申し上げます。


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