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天皇の御歌(45)―第106代・正親町天皇 [正親町天皇]

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大河ドラマ「麒麟がくる」
つながりで、
代106代・正親町天皇の
御歌を学ばせていただきます。
2回目です。

御在世:1517~1593(崩御・77歳)
御在位:1557~1586(41歳~70歳)



「麒麟がくる」では、御所の築地が派手にこわれているシーンがありましたね。本当にあのようだったのでしょうか。永禄十年(1567年)10月に、正親町天皇が「ご料所*興復の勅*」を出されたとのことだったので、どういう内容の勅(みことのり)だったのか知りたかったのですが、ネットでは情報が見つかりませんでした。織田信長が京に上るにあたり、事前に勅をいただいていたという話は、興味深いことです。

*ご料所:中世には,室町幕府や戦国大名の直轄領をいい、近世では,江戸幕府の直轄領をさすこともある、おもに幕府が皇室に献上した土地とのことです。

*勅(みことのり):天子の命令。天皇の言葉。また、それを記した文書。


☆☆☆

“千鳥

沖つ風 しほみちくるや むら千鳥 たちさわぐ聲の 浦づたひ行く

寄雨恋

待ちわびし 心もしらで 夕ぐれの またかきくもり 雨になりゆく


羇旅

たびごろも 立ちし都をへだてつゝ 峰こえてまた 山ぞかさなる

述懐

うき世とて 誰をかこたむ 我さへや 心のまゝに あらぬ身なれば

祝言

なにの道 まさきのかづら 末つひに たえずつたへよ 家々の風

(以上、正親町御百首)“

(p217)

(小田村寅二郎 小柳陽太郎編著『歴代天皇の御歌―初代から今上陛下まで二千首―』日本教文社 昭和52年8月15日 第5版)

☆☆☆

言葉の意味

沖つ風:沖から吹いてくる風。

むら千鳥:群千鳥。群がっている千鳥。

羇旅(きりょ):たび、旅行。旅行を詠んだ和歌・俳句。

たびごろも:旅衣。旅装束。

まさきのかづら:真拆の葛。テイカカズラ、またはツルマサキの古名。上代、神事に用いられた。「長く」にかかる枕詞。 


第1首目。風が沖から吹いてきて、潮が満ちてきたのだろうか。群がる千鳥が、にぎやかにたちさわぐ聲が、浦から浦へ伝わっていくことよ。

第2首目。私が待ちわびている心が分からないのだろうか。夕ぐれになって、晴れるかとおもったら、また雲が厚くなって、雨になってしまった。

第3首目。旅装束をつけて、都を立ち、遠く隔たったところの、峰を越えてまた、さらに山が重なっている。

第4首目。憂いの多い世の中だといって誰のせいにもするまい。私自身が、思い通りに出来ない身なのだから。

第5首目。何の道にせよ、テイカカヅラがからみつきながら長く伸びるように根気よく、家々の特有の気風、流儀や作法などを、子孫に絶やすことなく伝えなさい。

第1首目、海でカモメの鳴き声はよく聞きますが、チドリはどんなかなと思って、You tubeで2種類、聞いてみました。チューイ!というような、なかなかかわいらしい声です。群れと云うより、1、2羽の聲という感じでした。群がってにぎやかに鳴くというほど千鳥が集まる光景は、今の日本のどこかで見たり、聴いたりできるのでしょうか。

第2首目は、雨に寄せての恋の歌ということなので、思いを寄せておられる女性に会いたいのに、雨がひどくなって会えなくなってしまったことを、嘆いていらっしゃる御歌ですね。現代の我々のように、気軽に、レインコートを着て傘をさして、服がぬれても良いから出かける、というわけにはいかなかったのでしょうね。空に向かって「私の恋心がわからないのか」と、歌で呼びかけるお気持ちが風流だと思います。

第3首目は、さりげない旅の御歌です。都を離れてどこに行幸されたのでしょう。峰を越えて、重なる山をご覧になる天皇さまの御心に去来するものはなんだったのでしょうか。

第4首目は、「憂いの多い世の中を人のせいにしない」ということですね。世の中の問題を人のせいにせずに、自分の身を振りかえって思いかえす、一見あきらめのようでもありますが、そのお言葉のうらに、耐え忍びつつ好転の時節を待つ、天皇さまの御心が感じられます。

第5首目、まさきのかづら(テイカカズラ又はツルマサキ)は、神事にも使われるおめでたいツル植物ですね。どんな困難にあっても、伸び続け、よりどころを見つけてしっかりとからみつき、ツルを伸ばしていきます。伸ばしたツルの先に花を咲かせ、実をつける。そんな植物のように、困難な中でも子孫に伝えるべき家風を伝え続けてほしい。「祝言」ということなので、結婚などのお祝い事のときに、その家が末長く栄えることを祈られる御歌と存じます。


世俗の事をいろいろ思うとき、御製(天皇陛下の御歌)を拝唱すると、別世界に入ったような気がいたします。

小田村寅二郎氏の「はしがき」には次のように書かれています。

☆☆☆

“『歴代天皇の御歌 ― 初代から今上陛下まで二千首』と題した本書には天皇の御人数で一、九八八首を、厖大な御歌の中から編者両名が不徳・浅学を省みず、謹んでお選びし、こゝに集録させていたゞいたものである。御詠草の総数(明治天皇・約十万首、霊元天皇・約六千首、後柏原天皇・約四千首、をはじめ、編者が知りうる限りで、一千首以上を今日に残されてをられる方々が四十三方もおいでになられること)から見ると、ここに編した御歌の数は。ごくその一部分にすぎないことになる”
(p2)

(小田村寅二郎 小柳陽太郎編著『歴代天皇の御歌―初代から今上陛下まで二千首―』日本教文社 昭和52年8月15日 第5版)

☆☆☆


明治天皇の十万首を筆頭に、歴代天皇の御詠草*の数の多さに驚かされます。

明治天皇・約十万首
霊元天皇・約六千首
後柏原天皇・約四千首
一千首以上を今日に残してをられる方々が四十三方!

*詠草(えいそう): 詠んだ歌や俳諧を紙に書いたもの

歴代の天皇さまは、和歌を詠むことによって、浮き沈みの激しい俗世を離れて、どんなときでも永遠につながる世界を見つめておられた、「どんな暗闇であっても、明けない夜は無い」、「八方ふさがりでも、天の方向が開いている」、そんな風に思い、希望をもって生きていきたいと思わせていただきました。


今日も読んでいただき、ありがとうございました。

皆様にとって、実り多き一日でありますようお祈り申し上げます。

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