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天皇の御歌(3)-第123代 大正天皇 [大正天皇]

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水害に遭われた皆様に心よりお見舞い申し上げます。今日の雨があまり強くなりませんように。




今日も大正天皇の御歌を読みます。

いずれも、下記書籍からの引用です。引用の末尾に各掲載ページを載せています。

(小田村寅二郎 小柳陽太郎 編著 『歴代天皇の御歌 ― 初代から今上陛下まで二千首 - 』 日本教文社 昭和52年8月15日 第5版)


☆☆☆

“(大正四年 ― 一九一五 ― 御年三十七歳)”(p386)

“ 海

あげ潮に 風さへそひて 相模がた よせくる波の あらくもあるかな

和布(わかめ)

白波の あらひしわかめ 今日もまた わが夕みけに もて参るらむ(*みけ=御饌、天皇の御食事)

浪あらき いその岩間に あまの子が 和布刈るらし 船よするみゆ



いづくより わたりきにけむ ものすごき あら磯崎に 立てる大わし“


“(大正五年 ― 一九一六 ― 御年三十八歳)

簾外蛍

夕立の なごりかわかぬ 高殿の をす(簾)に蛍の ひとつすがれる“

(p387~389)

(小田村寅二郎 小柳陽太郎 編著 『歴代天皇の御歌 ― 初代から今上陛下まで二千首 - 』 日本教文社 昭和52年8月15日 第5版)

☆☆☆


最初の御歌四首は、海を詠まれています。

一首目は、相模の海で、上げ潮の上、風が強いので、荒い波が寄せては返す。
浪の音が聞こえてくるような御歌です。

二首目、三首目は、和布の御歌。
ご夕食に献上された和布、春の和布の青々とした新鮮さは格別の風味があります。
海にいらしたときに、和布を採る船をご覧になられ、あの和布だったろうかと、波の荒いところで、一心に和布を刈っていた海の漁師(海女?)に思いをはせておられます。

四首目の鷲は、波の荒い磯(海)のみさきに止まる鷲の姿をご覧になられて、詠われたのでしょう。波の激しさに負けない堂々たる雄々しいワシの姿が想像できます。翼を力強く広げてどこから飛んできたのかと。

五首目の、御簾の外側に すがるようにとまっている蛍の、いじらしい様子を、詠んでいらっしゃいます。夕立に降られて湿り気の残った御簾に、少し弱ったようすで、とまっているのでしょう。小さな蛍に思いを寄せられる、お優しい大正天皇の御心がしのばれます。

大正天皇の御在位は一九一二年~一九二六年、御年三十四歳~四十八歳でした。

大正天皇の解説には、次のように書かれています。


☆☆☆

“大正天皇の御治世は十五年間であったが、その御晩年は御健康を害せられ、大正十年(一九二一)からは、皇太子(今上天皇)が摂政として政務をお執りになられたので、統帥と政務を総攬せられた期間は約十年間であられた。しかし、その間の御精励については、侍従・藤波言忠の記録によると
「午前六時比(ごろ)に御起床。午前九時半より十時までの間に御学問所へ出御。而して百般の政務をご覧ありて或いは拝謁又は召されて御對話(午後も政務)……午後八時には両陛下御一緒に晩餐を召す。十一時に御寝所に被為入(いらせらる)。」
とあり、大正初期の国事多端の政事・軍事に、専心御精励遊ばされたことをうかがひ知ることができる。
この時期における我が国内外の情勢を見ると、まことに変動ただならぬ時期であった。すなはち、大正三年(一九一四)、ヨーロッパにおける英・独両国の対立を遠因として勃発した第一次世界大戦の開戦に当り、日本は日英同盟の盟約に基いて八月にこれに参戦、志那大陸の山東省にあるドイツ領青島(チンタオ)を攻略、わが海軍もまたドイツ領であった南洋群島を占領、さらにその後は地中海にまで艦隊を派遣して連合国の一員として活躍した。かくて六年後、大正八年(一九一九)六月のフランスのベルサイユで調印された平和条約によって、日本は山東省におけるドイツ権益の継承と、赤道以北の南洋群島の委任統治権を獲得することになった。しかし日本がほとんど無傷のまま強大国になりかけてきたことについて、米・英・仏諸国の関心が急に高まり、二年後(一九二一)のワシントン条約においては、わが国のアジア大陸における既得権益の中国への返還や、シベリアからの撤退など、世界列強の威力の前に、やむなく後退を迫られることになった。“(p374~375)

“一方、大正デモクラシーといはれる思潮の波は、大正初期から次第に勢力を増し、明治時代のわが国民性であった質実剛健の気象を次第に変質させ、大正十一年(一九二二)には、秘密結社としての日本共産党がソビエートのコミンテルン日本支部として生まれ、無産労農階級の解放と天皇制廃止を目標にして、非合法活動を開始するに至った。そしてその翌大正十二年(一九二三)には、関東大震災が起こり、その大災害は、全壊十二万戸、全焼四十五万戸、死者十四万人を算するといふ前古未曾有の意劇を伴なふと共に、その暮には、難波大助といふ共産主義者の、摂政宮殿下のお車に対する発砲事件さへ起きるに至った。”(p376)

“大正天皇は、かうした激しい変動期に当面された方であられただけに、御政務を総攬されたのは、十年の短い期間であったとはいふものの、その間の御心労がいかがばかりのものであられたかは、お察し申すも畏れ多いきはみである。”(p376)

(小田村寅二郎 小柳陽太郎 編著 『歴代天皇の御歌 ― 初代から今上陛下まで二千首 - 』 日本教文社 昭和52年8月15日 第5版)

☆☆☆

固い内容になってしまいました。私自身、大正時代について、これまであまり学んだことがなかったので、この機会に少しずつ、学んで参りたいと思います。

大正天皇のご苦労をしのび、御皇室が末長く続くこと、御皇室の弥栄を、祈らせていただきます。

今日も、読んでいただき、ありがとうございました。

今日が皆様にとって、安らかな一日でありますように。

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