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男尊女卑を考える [皇室典範改正]

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今、多くの日本人が当たり前だと思っている慣習は、すべてが日本古来の思想なのでしょうか。そうであるものもなければ、そうでないものもあります。

日本古来の思想のすべてが良かったとは申しません。しかし、「古事記」「萬葉集」「日本書紀」には、現代人が取り戻すべき、おおらかな、伸び伸びした良いものが埋蔵されています。

現代の慣習を一つ一つ検証し、悪しきものはあらためる、意識変革する、その時に、日本古来の思想が色々とヒントを与えてくれます。

実は、日本古来の良き思想を、一番よく今日に伝えて下さっているのが、天皇・皇室です。天皇・皇室の良き文化を学ばせていただくことが、意識変革の道標になります。

伝統と思っていることが、人を縛り、苦しめる因習になっているとき、一人一人が意識変革して、因習をあらためるところに、日本の飛躍の鍵があるのではないでしょうか。


1、 男尊女卑について

意識変革を要する一つの思想、「男尊女卑」について考えて見ます。

女系天皇容認を認められないという意見を持つ人々の文章を読んで思うのは、その根底に、女性は男性より劣っているという男尊女卑思想があるということです。

「男尊女卑」と言う言葉を出すと、自分は男尊女卑ではない!との反発を受けるかも知れません。しかし、「男尊女卑」とは無意識のもの、ふだんは全く気が付かないことも含まれます。社会全体に同じような考えがあれば、殊にそうです。

男尊女卑というと強いコトバに聞こえますが、女性が男性より一段下である、女性の地位向上は必要ない、男女同権など必要ないという意識は、冷静に見れば、やはり男尊女卑的だと思います(男女同権が男女同質でないことは言うまでもありません)。

この文章を準備しながら、私の中にも厳然として「男尊女卑」があるのを、見出しました。
私は「月経」の話を人前で口にすること自体が恥ずかしいという教育を受けて来たので、ここに書くのは、抵抗があります。そんな自分との戦いがありましたが、男系維持派が話題にしているので、勇気を奮って書くことにしました。


女性が男性より一段低いと見る、男尊女卑の一例は、女性の(月経が)穢れ、女人禁制などの思想に見られます。

最近、男系男子維持派の次のような意見を目にしました。

○女性天皇は祭祀ができない。月経は穢れであるから。
・古事記の日本武尊(倭建命)の伝承にそのことが書かれている
・庶民も月経やお産を穢れとしてきた
・大相撲の土俵に女性が上ることの賛否
・女人禁制の山

最初の、月経は穢れだから、女性に祭祀ができないというのは、史実から見て誤りであると思います。

・日本の歴史で8人10代の女性天皇がおられ、祭祀を行って来られました。

・古代から南北朝時代まで、伊勢神宮の斎王は、代々女性が務めて来られました。

“斎王(さいおう)または斎皇女(いつきのみこ)は、伊勢神宮または賀茂神社に巫女として奉仕した未婚の内親王(親王宣下を受けた天皇の皇女)または女王(親王宣下を受けていない天皇の皇女、あるいは親王の王女)[1][2]。厳密には内親王の場合は「斎内親王」[3]、女王の場合は「斎女王」といったが、両者を総称して「斎王」と呼んでいる。(ウィキペデイア)”

古代人が女性の穢れを気にしていたとしたら、重要な伊勢神宮に斎王が奉仕されることはなかったと思います。


神社本庁は女性宮司就任に反対しており、富岡八幡宮などはそれが遠因となり、殺人事件まで起きています。
https://www.jiji.com/jc/d4?p=tom712&d=d4_uu
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/54565

女性宮司は、全国に何人かいて新風を吹き込んでいます。今後も増えて行くでしょう。
https://www.chunichi.co.jp/article/47222
https://www.sankei.com/region/news/170117/rgn1701170022-n1.html

跡継ぎに悩む神社は少なくないといいます。神社本庁も、女性宮司の就任を積極的に認めてよいのではないかと思います。


平安時代は、人間の死と、女性の短い出産期間のみが、穢れであるとされていました。
室町時代、『血盆経(けつぼんきょう)』という中国伝来の偽経が広まり、出産や月経の血で大地を汚すという女性の不浄観を浸透させました。
https://www.asahi.com/articles/ASL4B72J3L4BUCVL024.html


古事記における日本武尊(倭建命)の話を読むと月経の話がありますが、実は、それは月経を穢れと見なかった話です。上記男系維持派の解釈は誤解だと思います。

古事記の文章を素直に読めば、倭建命(やまとたけるのみこと)は、むしろ月のさわりを気にしていなかったことが書かれています。

ストーリーを説明します。

荒ぶる敵(蝦夷)を言向け(平定)し、荒ぶる神々を和らげた倭建命は、かねて結婚を約束していた尾張の国の美夜受比賣(みやずひめ)の許に入られ、美夜受比賣はお酒を用意して、倭建命を歓待しました


☆☆☆

ここに美夜受比賣(みやずひめ)、それ襲(おすひ)の裾に、月經(つきのさわり)著きたりき。故(かれ)、その月經を見て御歌よみたまひしく、

ひさかたの 天の香具山 利鎌(とがま)に さ渡る鵠(くび)
弱細(ひはぼそ) 手弱腕(たはやかひな)を 枕(ま)かむとは 
我はすれど さ寝(ね)むとは 我はおもへど 汝(な)が著(け)せる
襲(おすひ)の裾(すそ)に 月立ちにけり(二八)

とうたひたまひき。ここに美夜受比賣(みやずひめ)、御歌に答へて曰(い)ひしく

高光る 日の御子 やすみしし 我が大王(おおきみ) 
あらたまの 年が來經(きふ)れば
あらたまの 月は來經往(きへゆ)く
諾(うべ))な諾な 君待ち難(がた)に 我が著(け)せる 
襲(おすひ)の裾に 月立ちにけり(ニ九)

といひき。故ここに御合(みあひ)したまひて その御刀(みはかし)の草薙剣(くさなぎのつるぎ)を、その美夜受比賣(みやずひめ)の許に置きて、息吹の山の神を取りに幸行(い)でましき。 
(倉野憲司校註『古事記』pp124~125 岩波書店)

☆☆☆

言葉の意味:

襲(おすひ):上代の上着の一種。長い布を頭からかぶり、全身をおおうように裾(すそ)まで長く垂らしたもの。

ひさかたの:天・空・月などのこと。

利鎌(とがま):よく切れる鎌。 切れ味のよい鎌

鵠(くび):白鳥(はくちょう)の古名

弱細(ひはぼそ):かよわくて細いさま

手弱腕(たはやかひな):しなやかな腕

腕(かひな):ひじから手首まで

枕(ま)かむ:枕にして寝よう

高光る:枕詞、空高く光り輝くの意で、「日」にかかる

日の御子:日の皇子

來經(きふ)る:年月がやって来ては去って行く。時が経過する

來經往(きへゆ)く:時が経過してゆく

御刀(みはかし):身分の高い人の太刀(たち)の尊敬語

息吹の山:今の滋賀県と岐阜県の境にある山。古くからの修験道(しゆげんどう)の山

取りに:捕まえる、取り除く


[解釈] 

その時、倭建命が美夜受比賣の衣の裾に月のさわりのもの(経血)を見つけて御歌を詠まれました。美夜受比賣がそれに返歌を詠まれました。

(倭建命、御歌の大意)
天の香具山の上を、するどい鎌のように群れになって、渡ってゆく白鳥、その白鳥の首のように細くてしなやかな、お前のしなやかな腕を枕にしようと、私はするつもりだか、いっしょに寝ようと私は思うのだが、汝の上着の裾に、月が出ていることよ。

と詠いたまいましたので、美夜受比賣がそれに答えて歌を詠まれました。
(美夜受比賣、返歌の大意)

輝きわたる日の皇子 国の隅々まで知らす(治める)大君のあなた様
年があらたまり 月もあらたまりました。
そうですとも、そうですとも。
あなた様を待ちきれなくなったのです。
それで私の着ている上着の裾に 月が出てしまったのですよ

そして、倭建命は美夜受比売とご結婚なさいました。
倭建命は御刀の草薙剣(くさなぎのつるぎ)を、美夜受比賣のもとに置いて、伊吹山の神を討ち取りにお出かけになりました。


[感想]

原文(書き下し文)を素直に読めば、倭建命が美夜受比賣の月のさわりのことを知り、比賣の体調を気遣って歌をお詠みになり、美夜受比賣があなた様を長い年月、待ちかねておりましたから、とお答えします。それで、月のさわりを気にせずに、結婚したというストーリーです。そこに月のさわりを穢れと見る思想はなく、むしろ逆です。
月のさわりを主題に和歌を詠み、相手を気遣うという、何とも優雅な話です。

冷静に考えれば、月経が穢れであるはずがありません。それが無ければ人間は誕生しません。神から女性に与えられた人類存続のための必須の尊い機能です。女性のそれが穢れなら、それに該当する男性の機能はどうなのでしょう。女性の生理機能だけ「穢れ」と見るのは、無意識の男尊女卑ではないでしょうか。

読んでいただき有難うございました。
今日一日が皆様にとって、充実した一日でありますように!

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